二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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極楽寺(現・大光明寺)

 細田・大光明寺(旧称:極楽寺)は、南葛「いろは大師」の第八番であり、南葛「南回り」の第五十八番でもあります。



【札所番号】
いろは大師:第八番(阿波郡土成村大字土成・熊谷寺の写)
南回り:第五十八番

【札所名】極楽寺(廃寺)→大光明寺

【宗派】浄土宗

【所在地】

旧地名 葛飾区曲金極楽寺
現在の地名 葛飾高砂2-11-4

【御詠歌(いろは大師08)】
たきゞとり みづくまだにの てらにきて なんぎやうするも のちのよのため

【御詠歌(南回り58)】

【いろは大師、次の札所】
第三番阿弥陀堂へ六丁半

【南回り、次の札所】
第五十九番、細田・宗念寺



 

大師堂写真
光明寺(旧極楽寺)の大師堂
大師像写真
南葛いろは大師第八番大師像

 第八番の大師堂は高砂橋の近くにあるお寺の山門を入ってすぐのところにあります。京成高砂駅から徒歩6〜7分。ひとつ前の観蔵寺から徒歩3分くらい。お堂には大師像のみが納められており、第八番と刻まれた台座に載せられています。

 ここは「南回り」の第58番札所でもあるのですが、こちらは痕跡がまったくありませんでした。「南回り」の場合、大師像や大師堂の造立をしなかった可能性があり、もし痕跡があるとすれば明治四十三年の日付と御詠歌が刻まれた板が残されているのですが、木の板ですので失われている場合が多いのです。

 ところで、このお寺は現在では大光明寺と言うのですが、以前は極楽寺という名前でした。平成になってから名前が変わったようです。事情はよくわかりません。

 『葛飾区史』によると、もともとここにあった寺は青龍山西涼極楽寺と言って下谷幡随院の末だったとのこと。寺伝によれば弘安年間(13世紀末)に青砥藤綱が一族菩提のために創立したものと伝えられています。国府台合戦の際に観蔵寺とともに炎上し、一時は衰退しましたが、天承年間に廓誉という僧侶によって再興され、現在に至る(区史が編纂された時点での現在ですが)とのこと。

大光明寺山門写真
光明寺山門

 この山門は極楽寺にあったものを引き継いでいるそうです。ちょっと変わった作りですね。二階は鐘楼で昔は梵鐘がさげられていたそうです。

 極楽寺のすこし北に青龍神社があり、社の前に怪無池(けなしいけ)があります。この池は以前雨乞いの儀式をした場所だと聞いています。群馬県の山奥に榛名神社があるのですが、そこから水を汲んできてこの池に注ぐと雨が降るといわれていたそうです。水を運んでいる間は小便をしてはいけない決まりがあったそうです。群馬から葛飾区まで、一度も小便をせず歩くというのあありえないので、たぶん途中で交替する決まりがあるのだとは思いますが、大変な道中だったと伝えられています。

 極楽寺山号院号が青龍山西涼院なのは、おそらく青龍神社と怪無池に由来しているのだと思いますが、はっきりそう書いてある資料はまだみつけていません。

www.chinjuh.mydns.jp
 昔書いたブログ記事ですけど、怪無池の事が書いてあります。写真もちょっと貼ってあります。

弘法大師 空海 密教