宝生院
【札所番号】
いろは大師:第五十番(温泉郡桑原村・繁多寺の写)
【札所名】宝生院(真言宗智山派)
【所在地】
旧地名 | 葛飾区柴又町 |
現在の地名 | 葛飾区柴又5-9-18 |
【御詠歌(いろは大師)】
よろづこそ はんたなりとも をこたらず しよびやうなかれと のぞみいのれよ
【いろは大師、次への順路】
五十七番の医王寺へ三丁
# いろは大師開創当時、医王寺は今より江戸川に近い場所にあったそうです。現在の医王寺までだと二丁足らずというところです。
柴又・宝生院は南葛いろは大師の第五十番で、柴又七福神の大黒天でもあります。『葛飾区史』によれば、江戸期に何度か移転して大正時代には池之端(台東区)にあったそうですが、大正12年の関東大震災で焼失し、昭和2年に柴又に移ったとのことです。
南葛いろは大師は大正14年に開創された霊場めぐりなので、その頃まだ宝生院は建築中だったかもしれませんね。
大師堂には石の大師像が一体、第五十番の台座に載せられています。次の札所である医王寺の像ともデザインがだいぶ違います。
霊場めぐりの弘法大師像は二十一ヶ所くらいだとデザインが統一されているケースもあるのですが、八十八ヶ所めぐりだと統一されてはいないようです。江戸川八十八ヶ所などは村ごとに話し合ったのかなと思うフシはあるのですが、南葛いろは大師は隣のお寺ともまるで違うので、札所ごとに独自の考えで石工さんに頼んだのかなと思います。
今のところ共通しているのは、札所番号の入った台座に載せられていること。台座の脇面に「大正十四年」など、大正時代の日付とともに、奉納者の名前が刻まれていることがあげられます。