二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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西念寺・鯖大師

【札所番号】
いろは大師:番外・鯖大師鯖大師本坊・の写)

【札所名】西念寺(浄土宗)

【所在地】

旧地名 (記載なし)
現在の地名 葛飾区新宿2-4-13

#新宿の読みは「にいじゅく」です。

【御詠歌(いろは大師)】
大阪や 八坂さか中 鯖ひとつ 大師にくれで 馬のはら病(やむ)
大阪や 八坂さか中 鯖ひとつ 大師にくれて 馬のはら止む

【いろは大師、次への順路】
(記載なし)

 鯖大師は『御詠歌集』の「歌」には「葛飾新宿二丁目」とだけあり、順路にはなく、寺の名前も書かれていませんでした(御詠歌集については いろは大師の由来>御詠歌集について を読んでください)。新宿二丁目の寺をまわって探しました。

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南葛いろは大師・番外鯖大師の像
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大師堂の傍らにある石碑(A)
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大師堂の傍らにある石碑(B)

 石碑はこの写真では読みにくいかもしれませんが、Aは中央に「南葛八十八ヶ所鯖大師」と刻まれ、その左に「大正十四年」の文字が見えます。Bは中央に「南葛八十八ヶ所鯖大師堂修繕」「昭和五十八年五月吉日」と刻まれています。

 お堂の中には「四国御写 鯖大師尊」と刻まれた台座の上に石像が一体あります。ほかの札所にある大師像が座像なのに対して鯖大師は旅姿の立像です。左手には数珠を持っているようですが、右手は奉納されたたすきが被っていてわかりにくいのですが、どうやら鯖(さば)を持っているようです。

 本場四国の鯖大師本坊にはこのような伝説が残っています。

 ある時、お大師様は通りがかりの馬子に積み荷の塩鯖を一匹くれないかと頼みました。しかし馬子は売り物をタダでやるわけにはいかないと冷たく立ち去ります。するとお大師様は「大阪や 八坂さか中 鯖ひとつ 大師にくれで 馬の腹病(やむ)」と一首読まれました。

 すると馬が苦しみ出し、倒れてしまいました。それで馬子は、さきほどの乞食坊主が名のあるお坊さまだったのではないかと思い、引き返して塩鯖をさしあげ、どうか助けてくださいと頼みました。

 お大師様が水筒の水にお加持をして馬にあたえると、今にも死にそうだった馬はけろりと治って立ち上がりました。

 その時、馬子の頭にはさきほどの御詠歌が浮かびました。さっきは「鯖ひとつ大師にくれで馬の腹病む」と聞こえていたのに、今は「大師にくれて馬の腹止む」という意味に聞こえるのでした。馬子は驚き、何度もお礼を言いました。

 それからお大師様は馬子をつれて海へ行き、塩鯖にお加持をすると海に放しました。すると、鯖は生き返り、泳いで行ってしまいました。

 この奇跡を見た馬子はその場でお大師様の弟子になり、長い事修業にはげみました。やがて一人前の僧侶になると、お大師様と出会ったところに寺を建てました。それが現在の鯖大師本坊だということです。

参考>鯖大師本坊(公式サイト):鯖大師の歴史

 『御詠歌集』の南葛八十八ヶ所(いろは大師)の由来によると、大正十四年に霊場を開いた恵心和尚はもともとただの農夫だったとも書いてあります。お大師様を信仰することでひどい怪我が治り、その奇跡に感激して霊場巡りを完成させたので、ちょうど鯖大師の馬子のような感じですね。

 ところで、鯖大師がある葛飾区新宿の西念寺には朝日の弥陀と呼ばれる阿弥陀如来像があるそうです。これは『新編武蔵風土記稿』という江戸時代の文献にも出てくるものなのですが、恵心という僧都が彫った像とされています。

 大正時代に南葛いろは大師を作った人も恵心和尚と呼ばれているのですが、偶然なのでしょうか?
 
 

弘法大師 空海 密教