二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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法問寺

【札所番号】
いろは大師:第四十五番(上浮穴郡仕七川村大字鳥・岩屋寺の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。大字は鳥ではなく「七鳥」だと思います。

荒綾:第三十七番

【札所名】法問寺(浄土宗)
# 『御詠歌集』には法門寺とありますが、寺の公式サイトでも法問寺になっています。

【所在地】

旧地名 葛飾区青戸町
現在の地名 葛飾区青戸6-16-20

【御詠歌(いろは大師)】
だいじやうの いのるちからの いはやでら いしのなかにも ごくらくぞある

【いろは大師、次への順路】
番外延命寺へ七丁半
 

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法問寺の大師堂(左上に指が写ってしまった…!)
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お堂前、向かって右脇にある南葛いろは大師の石碑

 法問寺は南葛いろは大師の四十五番で、荒綾の三十七番でもあります。お堂の外、向かって右脇に石碑があり

正面右端:北四十七番へ十八丁
正面中央:南葛八十八ヶ所第四十五番
正面左端:南三十一番へ十丁

と刻まれています。右端は番外をとばして亀有の恵明寺までの距離で、左端は次の佐々木金次郎地内までの距離です。

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大師像(番号の台座がない)

 堂内には石の大師像がありますが、残念なことに番号の台座はありません。ほかに向かって左に小さな不動明王の木像があり、向かって右にはガラスの扉がついた厨子の中にも何か納められているのですが、すすけていてよく見えません。

 『御詠歌集』によれば、恵心和尚が南葛八十八ヶ所を完成させた翌年、四国の八十八ヶ所をめぐり八十八番の大窪寺の僧正から「本尊彫刻材」として霊木を授かり、百余りの霊像を作ったとされています。その像がその後どこへ納められたのかは書かれていないのですが、各札所に、ときおり木製の厨子が納められている場合があるので、ひょっとするとこれがその霊像なのかもしれません(あくまで憶測です)。

 そもそも「霊像」というのがなんなのかもよくわかりません。大窪寺の僧正はご本尊さまを作りなさいと霊木をくださったようなので、大師像ではなくて、阿弥陀如来不動明王のような本場四国のお寺でご本尊さまとしておまつりしている仏様の像なのでしょうか。それともやっぱり弘法大師像なのでしょうか。法問寺のケースの中の像はなんとなく椅子に座っている大師像にも見えます。

 だいたい、大窪寺の話と関係があるかどうかもわからないのです。南葛以外のいろんな霊場めぐりを巡拝していると、石の大師像のほかに木製の大師像がおさめられている場所がけっこうあります。事情はさまざま想像できます。たとえばですけど、信者の方が自宅で礼拝されてた像を、その方が亡くなられたあとにご遺族が納めたものとか…ほんとうにあくまで想像です。想像ばかりで申し訳ございません。

 ところで、法問寺は荒綾の札所でもあるはず、なのですが、こちらは痕跡が見つかりませんでした。

 代わりに四箇領のものと思われる「八十八」と刻まれた石の杭が門前にありました。八十八としか刻まれていないので確証はないのですが、ここよりもっと北の三郷市内などでは四箇領の順路である路辺に同様の石杭が残されているので、同じシリーズのような気がします。

www.chinjuh.mydns.jp

 上記は三郷市内を散歩中に見つけたものです(こんなんばっかり探し歩いています。スタンプラリーみたいで大層面白いです)。都内の場合、路辺にあったものは道路工事で片づけられてしまい、お寺の門前に置かれていたりします。

 法問寺の八十八石も、道路工事の際になんの道標かもわからないままこの寺に納められたのではないかと思います。四箇領は近くにある観音寺が札所になっていますが、法問寺は順路沿いにあるだけで四箇領とは関係なさそうです。
 

弘法大師 空海 密教