二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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福島地内

【札所番号】
いろは大師:前札第七十番(三豊郡本山村・本山寺の写)
# 葛飾区新宿の浄心寺も「前札」とされ七十番の大師像がある

【札所名】福島地内

【所在地】

旧地名 (記載なし) # たぶん葛飾区下小松町
現在の地名 葛飾新小岩3-12-14

【御詠歌(いろは大師)】
もとやまに たれかうへける はななれや はるこそたをれ たむけにぞなる

【いろは大師、次への順路】
記載なし
# 「順路」にある七十番は葛飾区新宿浄心寺で、新小岩の福島地内とはまったく別の場所です。
# 本文に追記もしましたが「順路」にある下小松町の番外が福島地内の七十番と同一のような気がします。そうだとすれば、次は八十七番の東福院です。
 

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福島家の大師堂
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南葛いろは大師第七十番大師像

 
 南葛いろは大師には第七十番がふたつあります。ひとつは葛飾区新宿(にいじゅく)の浄心寺で、もうひとつがここ、新小岩の福島家です。私有地内の札所ですが、お堂は通りに向かって建てられており、道行く人は誰でも参拝できます。ちなみに福島さんはお米屋さんです。お堂があるのと同じ道沿いで米やお酒を販売する商店を今でも営業しています。

 お堂の中にある大師像は、ほかと同じように石像で、第七十番の台座に座っています。失礼してスマホを堂内に差し入れて台座の脇を撮影したところ、向かって右面にはいろは歌が刻まれており、左面には福島淀吉さんを筆頭に奉納人のみなさんの名前が刻まれていました。

 南葛いろは大師は大正12〜14年にかけて段階的に札所が選定されたことがすでにわかっているのですが、札所を作る事と、大師像や大師堂を造立する事は別の問題なので、お大師様の石像がいつの段階で作られたのかを知る手がかりになるかと思い、拝見できそうな場合は台座の脇を見せてもらおうと思っています(そう思い立ったのが、だいぶ回ってしまってからなので、手をいれられそうでも見ていない場所がたくさんありますが)。

 今まで見たものは「大正十四年」と刻まれているので、像は八十八ヶ所の選定が済んだあとに作られたものなんだろうな、と思っています。

 ところで、こちらのお堂は大師像のほかに木製の小さな厨子があって、扉が開いていたので中を拝見できました。

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福島家大師堂の厨子内の仏様

 写真が見づらいとは思うのですが、三面六臂の忿怒相で、おそらく四国七十番本山寺のご本尊様である馬頭観音ではないかと思います。

 『御詠歌集』によれば、八十八ヶ所ヶ完成したあと、恵心和尚は本場四国を巡拝して、八十八番大窪寺の僧正から霊木をたまわり、百余りの霊像を刻んだとされています。その像がどうなったかは御詠歌集には書かれていないのですが、おそらく各札所にご本尊様として設置されたんじゃないかと思うのですよね。

 弘法大師は偉いお坊さんですが、あくまで日本に真言宗をもたらした人の姿をしたお坊さんです。それに対してお寺でご本尊様としてまつられているのは、観音様だったり、阿弥陀様だったりするわけです。

 いろは大師すべての札所にあるわけではないのですが、堂内に小さな厨子が置かれている場合があります。さすがにご本尊様かもしれないものに部外者が手をつけてはいけないと思いますので、閉まっているものを開けてまで拝見したことはありません。
 
【追記】
 この札所は大心講『御詠歌集』の「歌」にはあって「順路」にはないんですが、どうも順路にある下小松町の番外がここにあたるようです。詳しくは「下小松町、謎の番外」をお読みください。

弘法大師 空海 密教