二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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謎の石田地内(葛飾区鎌倉・大珠院墓地に現存)

 南葛いろは大師の78番は、何度か遷座されているようで、東小松川であるとか、細田三丁目であるとか情報が錯綜していますが、葛飾区鎌倉・大珠院の墓地にお堂も大師像も現存します。



【札所番号】
いろは大師:第七十八番(綾歌郡宇多津町・郷照寺の写)

【札所名】石田地内

【所在地】

旧地名
現在の地名 大珠院/葛飾区鎌倉4-4-3 大珠院墓地内

78番石田地内は大心講発行の『御詠歌集』でも住所が一定せず、何度か遷座されているようです。
『御詠歌』>「歌」:江戸川区小松川五丁目
『御詠歌』>「順路」:葛飾細田三丁目(東覚寺より距離のない場所)
現在はどちらともまったく別の大珠院境内にあります。詳しくは本文最後に追記しました。

【御詠歌(いろは大師)】
おどりはね ねんぶつとのう どうじやうじ ひやうしをそろへ かねをうつなり

【いろは大師、次への順路】
二十番桜屋地内へ五丁



【追記】石田地内の78番は大珠院墓地にあるのを確認できました。詳しくは本文の終わりに写真も含めて追加してあります。追記ここまで。

 石田地内は南葛いろは大師の札所で、その名の通り石田さんの私有地内にあったものと思われます。しかし石田さんがお引っ越しなされたのか、「歌」と「順路」でまったく違う地名が書かれています。

 ひとつは葛飾細田の東覚寺から距離がほとんどない場所ですが、現在この寺には第二番はあるももの、七十八番はありません。まわりも歩いてみましたが、大師堂のようなものは見当たりませんでした。

 もう一方の東小松川五丁目なのですが、こちらは昭和の中ごろに町名が変わっているらしく、正確にどの辺なのか、いまいちわからないのですよね。

 もうひとつの手がかりとして下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』がありまして、昭和も終盤の1989年に出版されているのですが、この本には南葛八十八ヶ所の札所リストが二系統ともに掲載されています(両方南葛八十八なので、わたしゃ南回りの一覧しかないと思っていた…)。問題の七十八番石田さんちは「江戸川区小松川5丁目220」とされています。

 そこで、江戸川区のサイトにある、旧町名と現在の町名の対照表を見た所、東小松川五丁目は、いきなり510番地がら始まっていまして…あー、あーーーー、なるほど、これはたぶん、小松川の石田家は新中川の工事にかかって引っ越されたんだと思います。追記:古い地図を見直したところ、新中川の底になっているのは西小松川の一部で、東小松川の一部は、たぶん京葉道路になってしまったんだと思います。

 つまり、細田のほうが新しい所在地なんだと思うのですが、個人のお宅なので、通りから見えない場所にお堂があるかもしれないし、屋内でおまつりしているかもしれないし、霊場じまいをしていずれかのお寺に納められたかもしれないし……

 これは本当に関係者に聞かないとわかりません。降参。
 昔のことを覚えていらっしゃる方で「○年ごろまでどこそこにあった」とか「どこそこのお寺に納められたと聞いた」などの情報をお持ちの方や、「今もどこそこにあるよ?」などという情報をお持ちの方は、ぜひコメント欄でお教えください。

 ただ、ええと、ネットにこう書いてあります、というのは基本求めておりません。そのネットの方が関係者であったり、関係者から直接聞いたとおっしゃっている場合ならば有力情報なのですが、出典もわからないリストなどはいくつか存在するのは知っていて無視していますので、どうかほっといてください。

【追記】78番大師堂と大師像を発見 2022年7月26日

 78番なら大珠院の「墓地」にあるよという情報をいただきまして、ひとっ走り行ってきました。おおお、ほんとにある。大珠院は本堂前の13番はもちろん知っていたのですが、本堂裏手、道路を挟んだところにある墓地まで見てなかったです。

南葛色は大師第七十八番大師堂
お堂の軒下にかかっている札「南葛霊場八十八ヶ所 第七十八番」とある。

▲この札は竜光寺や前西のお堂にかかっているのと同じ形式なので、同じ人が寄進した棟札(っていうのかな?)なのかもしれないですね。お堂自体は札よりもっと古そうな気がします。

南葛いろは大師第七十八番大師像

▲大師像は別の札所にあるのと少し形式が違い、小さな台座には弘法大師のシンボルである沓(くつ)が刻まれていて、その下に札所番号がある大きな台座があります。

「いろは大師」という呼び方は、同名の霊場巡りと呼びわけるために便宜的につけた当ブログ独自の呼び方です。詳しくは>「目次のページ」や「名称について」などをお読みください。正式名称のように思われてもこまりますのでしつっこく書いておきますね(笑)

大きな台座向かって左面。昭和十年三月の文字が見える。

▲左面に造立年がありました。南葛いろは大師は88ヶ所の札所すべてが大正14年までに作られたはずですが、お堂や大師像の奉納がそれと同時だったかはよくわかりません。昭和10年だと、開創時からちょっと間があるんですが、かといって破損して作り直したにしては間がないなとも思えるので、大師像の寄進がこの頃まで続いていたのかもしれません。なお、向かって右面には「大心講」の文字と、世話人の方々の名前が刻まれていました。

大きい台座、向かって右面。「発起人 大心講」の文字と、世話人のかたがたの名前が刻まれている。
お堂の足下にある四国の地図が刻まれた踏み石

▲光の加減で分かりにくいと思うのですが、四国の地図が刻まれています。たぶん踏み石の下に四国霊場の砂が埋められていて、ここを踏むと四国にお参りしたのと同じにになるという趣向だと思います。この踏み石は新しいもので、同じ形式のものが34番の慈眼院にもありました。同じ方が寄進されたものかなあと想像します。

 というわけで、78番は、もとは石田さんの私有地にあったようなんですが、現在は葛飾区鎌倉・大珠院の墓地(墓地です、本堂前の13番とは別の場所なので注意)にあります。

弘法大師 空海 密教