二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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佐々木金次郎地内(青戸、堤防の近く)

南葛八十八ヶ所いろは大師・第三十一番札所です。京成線青砥駅(あおとえき)近くの民家で今も大事にされています。



【札所番号】
いろは大師:第三十一番(長岡郡五台山村・五台山の写)

【札所名】佐々木金次郎地内

【所在地】

旧地名 葛飾区淡の須
現在の地名 葛飾区青戸二丁目のどこか

# 葛飾区青戸2-3-16 堤防近くの民家の庭先

【御詠歌(いろは大師)】
南無もんじゅ さんぜしよぶつの はゝときく われもこゞころ ちゝぞほしけれ

【いろは大師、次への順路】
四十五番の法問寺へ十丁



 
 こちらはお寺や村有地などではなく個人の私有地にあった札所のようです。大心講の『御詠歌集』には「葛飾区淡の須(青戸二丁目)」とだけあります。もうひとつの手がかりである下町タイムス社の『江戸・東京名所事典』には三十一番そのものがありませんでした。

 いちおう、旧淡の須あたりを歩いてみましたが、見える範囲に大師堂らしきものが見当たらないですね。私有地なので通りから見えない場所におまつりしているかもしれないし、霊場じまいをしていずれかのお寺に納めた可能性もあります。これも関係者に聞いてみない事にはわかりません。

 もしこの記事を見た方で、三十一番の行方をご存知の方はコメント欄でお教えください。いつごろまでどこそこにあったよという思い出話も歓迎ですよ!

# こちら、堤防近くにある民家の庭先のようなところにあるらしく、そこにあると知ってないと入って行きにくいところのようです。ストリートビューでもそれらしきお堂の屋根の一部を確認できたので後日行ってきます。現在真夏につき倒れない程度に涼しくなってからにしたいと思います。

行ってきました

 長らく場所がわからなかったのですが、地元の札所研究家である小川さんが青戸にあると教えてくださったので探してみました。

青戸2−3あたり、堤防の近く

 ここは何度も通ったことがあるんですが、お堂が私道の奥だとは思っていなかったので気付きませんでした。京成線青砥駅(あおとえき)の東側で、突き当たりは中側の堤防です。上の写真中央に写っている木のところから私道を入った先の民家のお庭にお堂があります。住所でいうと 葛飾区青戸2-3-16 になります。

 余談ですが駅名は青砥で、地名は青戸です。読みはどちらも「あおと」になります。昔の地名では淡の須(あわのす)と呼ばれていて、今でも町会の名前が淡の須町会だったりするみたいですね。

私道の入り口からお堂を望む

 お堂は白い壁の民家の庭先にあるのですが、静かにお参りするのは問題ないと思います。

南葛八十八ヶ所いろは大師・第三十一番お堂
軒下に掲げられた扁額(文字は消えてしまっている)

 この扁額には三十一番の御詠歌「南無もんじゅ さんぜしよぶつの はゝときく われもこゞころ ちゝぞほしけれ」が書かれていたに違いありません。よその霊場巡りだと、御詠歌の扁額は文字を彫ってあるため残るんですが、いろは大師系のものは墨で書いただけなので、残っていても消えてしまってるものばかりです。

堂内の様子。三十一番大師像が安置されている。

 お堂はとても立派な作りで、お大師様の後ろに格子のついた扉があり、おそらく中にはご本尊様である文殊菩薩の木像が納められていると思います。

 弘法大師は偉いお坊さんですが、四国の霊場になっているお寺でお祀りされているのは観音様や阿弥陀様のような仏様になります。四国の三十一番は五台山竹林寺で、ご本尊様は文殊菩薩です。

 なお、スマホをそっと差し込んで台座の脇面を写してみましたが、脇面には造立年はありませんでした。これまでの調査で大師像はすべて一斉に作られたわけではなくて、霊場が開創された大正時代の終わりから昭和の初めにかけて段階的に作られたことがわかっています。

 台座の脇面には佐々木金次郎さんをはじめとする世話人の方々の名前が刻まれてており、画像処理をするとお名前が読める程度には写真が撮れましたので、「うちのおじいちゃんの名前があるかもしれない」などという場合はコメント欄でおっしゃっていただければ、画像処理してみますよ。コメント欄は今見ている画面の下の方のどこかにあると思います。

弘法大師 空海 密教