南蔵院
【札所番号】
いろは大師:第三十七番(高岡郡窪川町・岩本寺の写)
荒綾:第四番
四箇領:第十七番
【所在地】
旧地名 |
現在の地名 |
【御詠歌(いろは大師37)】
六つのつぢ いつゝのやしろ あらはして ふかきにいだの かみのたのしみ
【いろは大師、次への順路】
六十三番宝泉寺へ六丁半
南蔵院は南葛いろは大師の三十七番であり、荒綾の四番、四箇領の十七番でもあります。
堂内にある大師像はいろは大師のもので、第三十七番の台座に座る石像です。傍らにいろは大師の由来を書いたものがパウチされた状態で置かれていました。『御詠歌集』に書かれているのとほとんど同じ内容です。このあたりに
台座の脇面には造立年はなく、奉納人のお名前が並んでいます。上一色念仏講中とも書かれていました。上一色というのはもうちょっと南のほうの地名だと思うのですが、講としてはこのあたりにまで会員(会員って言わないかも?)がいたということなのでしょうか。
お堂のわきにある石碑は四箇領と荒綾の札所であることを知らせるものですが、五方山立石寺というのは南蔵院のことです。五方山南蔵院立石寺というのがフルネームということですね。
『葛飾区史』によれば、五方山というのは近くにある立石熊野神社のことだそうです。長保年間(999〜1004年)に五角形の土地に熊野神社を勧請して五方山と名付け、江戸時代までは南蔵院が所持していたとか。
立石熊野神社はちょっと不思議な神社です。本当に五角形の土地に建っています。五行説に基づいた設計だとされていて、安倍晴明が作ったという伝説もあります。
これは昔作った動画なんですが、後ろのほうに土地がどんなふうに五角形なのかわかるような写真も出てきますのでよろしければどうぞ。
www.chinjuh.mydns.jp
別のブログにこんな記事を書いたこともあります。
実は南蔵院や熊野神社がある葛飾区立石というところは何やら不思議な場所で、誰も掘り出せない立石という石があったりするんです。その石は今では地面にめりこんでしまってるんですけど、伝説によると夏は大きく、冬は小さくなるとも言われていました。残念んですけど、今は大きさは変わりません。
youtu.be
これは立石様の伝説を説明した動画で、何年か前に撮影したのがハードディスクにあったので昨日テロップをいれてアップしました。