四つ木西光寺
【札所番号】
いろは大師:第三十三番(吾川郡長濃村・高福山の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。吾川郡には長濃村はなさそうなので長濱村(長浜村)の間違いかと思います。
荒綾:第三十四番
【札所名】西光寺(天台宗)
【所在地】
旧地名 | 葛飾区渋江 |
現在の地名 | 葛飾区四つ木1-25-8 |
【御詠歌(いろは大師33)】
たびのみち うへしもいまは こうふくじ のちのたのしみ ありあけのつき
【いろは大師、次への順路】
四十四番愛宕下(白髭神社)へ五丁半
西光寺という名前のお寺が巡路上に複数あるんですが、ここは四つ木一丁目の西光寺です。四つ木橋の葛飾区側にあります。南葛いろは大師の三十三番で、荒綾の三十四番でもあります。堂内の大師像はいろは大師のもので、ほかの札所と同じように番号の台座に石のお大師様が座っています。
このお寺は13世紀に葛西清重の住居だったことでも知られていて、親鸞上人がこのあたりの教化に来た際に長雨に降られて清重の館に五十日逗留したんだそうです。清重は親鸞の教えに深く帰依して、ここに寺を建てて雨降山西光寺としたそうです。そのため、最初は浄土真宗だったそうなんですが、国府台の合戦や、度重なる洪水で荒廃し、長いこと住職のいない荒れ寺になっていたそうです。
江戸時代の寛永年間に、この歴史ある寺が荒れたままでいるのを惜しんだある僧侶が、村人と相談して寺を再興し、この時から天台宗のお寺になったということです。(ソースは『葛飾区史』)。
寺には親鸞が清重に描いて与えたとされる阿弥陀様の絵や、清重が彫ったとされる聖徳太子の像があるといわれています。一説によれば、この聖徳太子像は四本の木を組み合わせたものを彫ってあることから、このあたりの地名を四つ木というのだ、とも言われているそうです。四つ木という地名の由来は諸説あり、はっきりとはわかっていません。