二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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慈眼院

いろは大師:第三十四番(吾川郡秋山村種間寺の写)

荒綾:第二十六番
荒川辺:第十五番

【札所名】慈眼院(真言宗豊山派

【所在地】

旧地名 葛飾区篠原
現在の地名 葛飾区四つ木4-19-33

【御詠歌(いろは大師34)】
よのなかに まけるごゝくの たねまでら ふかきによらいの めぐみとぞしる

【御詠歌(荒綾7)】
おうじやうに のぞみをかくる ごくらくは つきのかたむく にしでらのそら

【いろは大師、次への順路】
四十三番善福院へ五丁
 

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慈眼院の大師堂
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この石の下に四国八十八ヶ所の砂を入れてあるそうです
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四国八十八ヶ所の砂についての説明
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南葛いろは大師第三十四番大師像

 慈眼院は南葛いろは大師の三十四番であり、荒綾の七番、荒川辺の十五番でもあるそうです。境内の大師堂にある像は南葛いろは大師のもので、第三十四番の台座に載せられています。

 お堂の前の地面に四国の地図を刻んだ石版があり、その下には四国八十八ヶ所の砂を敷いてあるそうです。石版の上にあがって礼拝すると四国をまわったのと同じ功徳を積めるという趣向になっています。せっかくなので、わたしも靴をぬいであがり、南無大師遍照金剛と唱えました。

 堂内の像は南葛いろは大師のものですが、お堂の屋根の下にかかげられている扁額は荒綾二十六番のものでした。荒綾は南葛いろは大師とはまた別の霊場めぐりです。当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所(いろは大師と南回り)の札所をめぐっていますが、荒綾、荒川辺、四箇領など別の霊場めぐりの痕跡をみつけた場合にはそれも記録しています。

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荒綾二十六番の扁額

奉納
荒綾八十八霊場 南葛飾郡本田村字篠原
第二十六番 慈眼院
本尊阿弥陀如来

おうじやうに
のぞみをかくる
ごくらくは
つきのかたむく
にしでらのそら

施主 同村 吉野清次郎
発願者 信仰五心会

 本田村はこのあたりの旧村名で、昭和3年の本田町になったそうです。南葛飾郡の一部が葛飾区になったのは昭和7年のことです。それより少し前に奉納された扁額でしょうか。

 お堂は鍵がかかっていたのですが、格子の隙間から中を覗くと額に入った「謝状」が納められていました。大師堂と関係があるものなのかよくわかりませんが、こういった昔の品に出会えるのも楽しみのひとつです。

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帝国飛行協会からの謝状

謝状
篠原青年弁論会
愛国郵便切手類の使用に尽力せ
られ為めに民間航空の振興に
寄与する處多し仍て茲に厚く
謝意を表す
昭和十二年九月二十日
帝国飛行協会会長正三位勲一等阪谷芳郎

 ウィキペディアによると、愛国切手というのは昭和12年(1937年)3月に発行された寄付金付切手のことだそうです。
 

弘法大師 空海 密教