宝性寺(御詠歌集では宝燈寺)
【札所番号】
いろは大師:第六十番(温泉郡千足村大字千足山・横峰寺の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。千足村は越智郡だそうです。
荒綾:第十二番
荒川辺:第六十二番
【札所名】宝性寺(真言宗智山派)
# 『御詠歌集』では宝燈寺となっていますが、昔そういう名前だったという資料がみつからないので誤植か書き間違いの可能性があります。
【所在地】
旧地名 | 葛飾区小谷野 |
現在の地名 | 飾区堀切4-54-2 |
【御詠歌(いろは大師)】
たてよこに みねややまべに てらたてゝ あまねくひとを すくふものかな
【いろは大師、次への順路】
六十一番極楽寺へ九丁半
南葛いろは大師の第六十番は堀切・宝性寺にあります。大心講の『御詠歌集』には宝燈寺と書いてあるのですが、寺号が変わったという資料がみつからないので単なる誤植か書き間違いかもしれません。堂内にある大師像は第六十番の台座に座っており、南葛いろは大師のものだとわかります。
ところで、いろは大師の順路を見ると、七十七番正覚寺から六十番宝性寺へ進み、なぜか隣りの正王寺には進まず、かなり南の極楽寺を経由しています。
『葛飾区史』によると、宝性寺は荒川放水路の開削により大正4年に今の場所に移転したそうですが、それ以前は600メートルほど南のほうにあったそうです。『御詠歌集』には昔の地名で小谷野ともあるので、今は高速道路の橋になっているあたりにでもあったんじゃないかと思うんです。
もしそうなら、正覚寺から綾瀬川沿いを南下して、まず宝性寺へ進み、極楽寺を経由してから天王寺へという流れが自然になるような気がします。
ただ、いろは大師は大正14年の開創ですから、この頃はもう宝性寺が現在の位置にあったんじゃないかと思うので謎は残ります。
今ほどものがあふれている時代ではないので、少し古い地図を見ながら順路を考えた可能性もあるし、昔の土地勘でなんとなく決めたとかなのかもしれません。あるいは離れた場所にある普賢寺をどうまわるか考えた結果こうなったのであって、宝性寺の移動とはあまり関係がないのかもしれませんが、作った人の思いを想像しながら順路を見るのもまた楽しいものです。