多聞寺
【札所番号】
いろは大師:第七十九番(讃岐国綾歌郡西の庄村・崇徳天王寺・高照院の写)
荒川辺:第六十五番
【札所名】多聞寺(真言宗智山派)
【所在地】
旧地名 | 向島区墨田町内多聞寺 |
現在の地名 | 墨田区墨田5-31-13 |
【御詠歌(いろは大師79)】
ぢうらくの うきよのなかを たづぬべし てんのうさへも さるらへぞある
【いろは大師、次への順路】
八十番理性院へ十六丁余
多聞寺は南葛いろは大師の七十九番であり、荒川辺の六十五番でもあります。堂内の大師像は七十九番の台座に座っており、いろは大師のものだとわかります。
お堂が広いので横にも後ろにもまわってみられるので、台座をぐるりと拝見したところ、
向かって左
世話人
墨田
(九人ほどの個人名)
背面(下の方がかすれている)
発起人
当山住…
岸田…
宇田川万…
大正十四…
このような文字が見えました。背面の宇田川氏は、南葛いろは大師を作った恵心和尚こと宇田川万太郎氏だと思います。もともとは僧侶ではなく篤農家だったそうなのですが、お大師様を信仰することでひどい怪我が跡形もなく治るという奇跡を体験されて、大正12〜14年にかけて、段階的に札所を開いていき最終的に八十八ヶ所霊場を開創したと、大心講の『御詠歌集』にあります。
大師像の台座にはさまざまな情報が刻まれている場合があるのでこちらのように四方から拝見できるのはとてもありがたいことだなと思います。
このお寺には見どころが沢山ありますね。大師像の隣りのお地蔵様もちょっと不思議。胸のところに赤ん坊を抱いているので子安地蔵の類いなのかなと思うのですが、足下で僧形の人物がうつむいて何かしてるんですよね。一体何をしてるんでしょう?
また、多聞寺には狢塚(むじなづか)というものがあります。
昔このあたりは隅田川の河原で、生い茂る草木の中に大きな池があり、そこには猛毒を発している大蛇がいて、一目でもこの蛇を見ようものなら何ヶ月も寝込んでしまうほどでした。
また近くには大人が五人でやっと抱きかかえられるほどの大きな松があり、牛松と呼ばれていました。牛松の根元には穴があり、地下に化け狸(だぬき)が住み着いて人を化かしていたということです。
このままでは村のためによくないと考えて、鑁海和尚(ばんかいおしょう)という人がここにお堂を立てることにしました。牛松を切り倒し、狸の穴をふさぎ、毒蛇の住む池も埋め立ててしまいました。
すると大きな地鳴りがして、空から土が降るなどの怪異が続き、かえって恐ろしいことばかり起こるようになりました。しかし和尚はあきらめず、周辺の整備を続けました。
ある夜、和尚の夢の中に大入道が現れて
「ここはわしのものじゃ。さっさと出て行かないと村人を食い殺すぞ」
と言いました。
和尚はおどろいて、お堂のご本尊さまである毘沙門天を一心に拝み続けました。すると毘沙門天の家来が現れて、
「狸よ、お前の悪行が、お前自身を滅ぼすのだ」
そう言って、大入道を成敗したそうです。
朝になり、和尚が目覚めてお堂の様子を見に行くと、お堂の前で二匹の狸が死んでいたということです。化物とはいえ哀れに思い、村人と相談して塚を作り、狸や切り倒した松の木や、埋めてしまった池の供養をすることにしました。
やがてこの塚は狢塚と呼ばれるようになり、今でも多聞寺にあるのです。
多聞寺の狸の話は葛飾区亀有の昔話にも出てきます。明治の中ごろ、多聞寺の境内には腹鼓(はらつづみ)日本一と言われる狸が住んでいたとされていて、その狸が置いて一位の座から退いた時に、亀有の狸が我こそはと腹鼓の練習をする話です。
www.youtube.com
わたしは以前、ポッドキャストで昔話を配信してたことがあるんですが、それをyoutubeでやれないかなあと模索してみた動画のひとつで、この動画では亀有にある狢塚のお話をしています。久しぶりすぎておしゃべりが下手なんですが、まあよろしければどうぞ。