墨田・正福寺
【札所番号】
いろは大師:第八十六番(大川郡志度町・志度寺の写)
荒川辺:第六十六番
【札所名】正福寺(真言宗智山派)
【所在地】
旧地名 | 向島区隅田町正福寺 |
現在の地名 | 墨田区墨田2-6-20 |
【御詠歌(いろは大師86)】
いざさらば こよひはこゝに しどのてら いのりのこゑを みゝにふれつゝ
【いろは大師、次への順路】
七十九番多聞寺へ七丁
墨田の正福寺は南葛いろは大師の八十六番で、荒川辺の六十六番であもります。大師堂は昭和28年に篤信の中馬兄弟会と平野材木店により寄進されたものだと書いてありました。
堂内の像は高さのない台座に「第八十六番 奉納中馬兄弟会」と刻まれています。番号から南葛いろは大師のものだとわかりますが、他の札所にあるものと台座の形式がだいぶ違うのと、お堂の寄進者と同じ屋号なのでおそらく昭和28年の大師堂建立の際に作り直されたものではないかと思います。
こちらのお寺の見どころは、門前の首塚地蔵ではないでしょうか。なんでも江戸時代の天保四年(1833年)に隅田川の浚渫工事(しゅんせつこうじ)をしたところ、数多くの人骨、特に頭蓋骨が引き上げられたそうです。正福寺の住職がこれを供養し首塚を立てたところ、ここに参拝する人の病気が治るなどのご利益があり、特に首から上の病気に験があると言われているそうです。これらの骨がいつの時代のものかはわかりませんが、寺では南北朝時代の合戦の戦死者として祀っているとのことです(ここまで、ソースはネット上のいろんな人の記事やウィキペディアなど)。
堂内の地蔵の後ろに石碑があり、美しい筆致の草書体で何か刻まれています。おそらく元はもっと大きなもので、上のほうが欠けていると思います。おまけにお地蔵様を石碑にびっちりくっつけて固定してあるので内容はよくわかりませんが、「橋場」とか「髑髏出」などの文字が見えるので、おそらく首塚の由来を記したものだと思います。
お地蔵様にも修復のあとがあります。どうやらもっと背の高い大きな像だったようなのですが、砕けて途中がなくなってしまったんだと思います。足首のあたりにいきなり尻から上を継いであるようです。いつごろ破損したなどの情報はみつかりませんでした。
こちらでは毎月4日の朝にお地蔵様の前で住職が法要を行い、参列者には客殿で朝粥を振る舞う集まりがあるそうです。誰でも参加できるとのこと。