森田屋敷地内(奥戸善紹寺に遷座)
南葛八十八ヶ所(いろは大師)の68番はかつては墨田区の森田屋敷の敷地内にあったそうですが、現在は1番札所がある奥戸・善紹寺に遷座されています。
【札所番号】
いろは大師:第六十八番(三豊郡観音寺町・琴引八幡の写)
【札所名】森田屋敷地内
【所在地】
旧地名 | 向島区善左衛門森田 |
現在の地名 | 墨田区墨田四丁目 |
#『江戸・東京札所事典』には「墨田区墨田4-18-11」とある。
【御詠歌(いろは大師)】
ふへのねも まつふくかぜも ことひくも うたうもまうも のりのこゑごゑ
【いろは大師、次への順路】
八十六番正福寺へ七丁
南葛八十八ヶ所いろは大師の第六十八番は、『御詠歌集』によれば昔の地名だと向島区善左衛門、現在の地名だと墨田区墨田四丁目の森田家にあるとされています。さらに『江戸・東京札所事典』には墨田区墨田4-18-11と番地まで書いてありました。
丁目や番地は振りなおされてしまう可能性もあるのですが、古い地図を見ると善左衛門が墨田区墨田になってからは「丁目」は変わっていないようです。
この地図は 今昔マップよりキャプチャして引用しました。右側が現在の地図で、左側が1917~1924年(大正6年〜大正13年)の地図です。大正時代の善左衛門は農地ばかりだったみたいですね。
大きな民家があるのは、きっと街道沿いでしょうね。道に斜線が引いてあるのが、たぶん宅地などの建物があった場所だと思います。その場所を、今昔マップだと番地まではわからないから、google地図にあてはめると、確かに墨田四丁目18番地にあたるようです。セブンイレブン墨田四丁目店の斜め裏ですねー。
この18番地のあたりをくるりとひとまわりしてみたのですが、残念ながらお堂のようなものはみつかりませんでした。きっと霊場終いをされて今はここにはないんだと思います。
一部ネット情報では葛飾区奥戸の善紹寺にあるとされているのは知っています。ただ、誰に聞いたとか、どういう本に載っているとかの情報もありませんので、わたし個人は「いろは大師の六十八番は不明」としておきます。
善紹寺には一番、四十八番、番外元大師(いろは大師)があるのは確認しています。元大師堂に番号の台座がない石像が二体あったと思うのですが、こればかりはお寺に聞いてみないとどういうものかはわかりません。いつかチャンスがあったら、善紹寺のお坊さんとお話してみたいなとは思うのですが…それはいつか、チャンスがあったらということで。
善紹寺にあることが確認できました
お寺の人に聞かないとわからないかな、と思っていたんですが、68番の台座が善紹寺の境内にあるはずだと教えてもらいました(いつもありがとうございます)。善紹寺さんは門が閉まってることが多いので、なかなか確認できなかったんですが、先日やっとお参りするチャンスがありました。
上の写真に写っているお堂は観音堂…だったと思います。なんせこのお堂自体は大師堂ではないんです。その脇に番号の入った台座が3つ積まれていました。
苔むして読みにくいのですが、上から「第二十二?番」「第六十八番」「第……」となっています。?は直前の文字が不明瞭、……は草や土に埋もれて読めない部分です。脇面も写してきました。
残念ながら一番下の台座は埋もれてしまって詳細を確認できなかったのですが、
- 一番上はかつて小岩三丁目(旧地名:吹上)にあった第22番
- 真ん中の台座は南葛八十八ヶ所(いろは大師)が完成した大正14年の日付が入っているので森田屋敷にあった第68番
ということで間違いなさそうです。
奥戸・善紹寺には複数の大師堂があるのですが「開山堂」と呼ばれるお堂の中に台座のない大師像が少なくとも二体あり、それが68番と22番であることは間違いないってことですね。
▲奥戸・善紹寺の開山堂内。真ん中の「いろは大師」はお厨子に納められていて見えませんが、両脇に台座のない大師像が 2体見えます。この 2体のどちらかが森田屋敷にあった68番です。
奥戸・善紹寺については下記をお読みください。
nankatu.hatenablog.com