二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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稲荷境内(玉ノ井稲荷、現・東清寺)発見できず

【札所番号】
いろは大師:第七十二番(仲多度郡吉原村・曼荼羅寺の写)

【札所名】稲荷境内(現・東清寺、曹洞宗

【所在地】

旧地名 向島区寺島町玉ノ井
現在の地名 墨田区墨田3-10-2

【御詠歌(いろは大師)】
わづかにも まんだらおがむ ひとはたゞ ふたゝびみたび かへらざらまし

【いろは大師、次への順路】
六十八番森田屋敷地内へ三丁半

左が大正時代の地図、右が現在

 南葛八十八ヶ所いろは大師の七十二番は、『御詠歌集』によれば墨田三丁目(旧向島区寺島町玉ノ井)の稲荷境内とされています。上の地図右側で墨田三丁目のあたりを見ると卍がありますが、左の地図ではそこが鳥居のマークになっています。

 この場所に実際行ってみると、東清寺が(東清禅寺)あります。

東清寺門前と本堂
東清寺の寺号塔、玉ノ井稲荷とある
本堂へ向かう階段上の狐の像

 門前の寺号塔に「玉ノ井稲荷」と書いてあるので、間違いなくここが「寺島町玉ノ井、稲荷」です。お寺のホームページに東清寺そのものは昭和二年にこの地に引っ越してきたこと、それ以前にあった玉ノ井稲荷は、大正時代初期、ここに水戸街道へ抜ける街道を作る際に何か悪い事があってはいけないと、豊川稲荷の分霊を勧請して小さな祠を作り、工事の無事を懇願したのが現在の玉ノ井稲荷の起こりであると書かれています。
http://toseiji.or.jp/about/toseiji.or.jp

 というわけで、場所はここなんですが、残念なことに七十二番の大師像はみつかりませんでした。本堂は閉まっていて、いちおうガラス越しに中はのぞかせてもらいましたが暗くてよくわかりませんでした。裏へまわって墓地も拝見しました。古い庚申塔などは残っていましたが、大師像はなさそうでした。昔この地にあった七十二番の大師像をご存知の方はぜひコメント欄に情報をお寄せください。

【追記】2022年7月
 南葛いろは大師(大心講)の研究家の田辺恵司さんという方の平成18年ごろの調査によると、こちらのお大師様も空襲にあわれたとあります(葛飾区立中央図書館蔵『新四国八十八ケ所霊場地絵地図』)。現在、像がどうなっているかはちょっとわかりません。追記ここまで。

弘法大師 空海 密教