二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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新光寺(廃寺)大師像は現存せず、十周年記念塔あり

【札所番号】
いろは大師:第五十六番(温泉郡日高村大字小泉・泰山寺の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。日高村越智郡のようです。

荒川辺:第七十番(現在は墓地を管理している蓮花寺を七十番としている事もあります)

【札所名】新光寺(廃寺)
# 『武蔵国風土記稿』などに出てくる真光寺のことだと思われます。

【所在地】

旧地名 向島区寺島町長浦
新しい地名 墨田区東向島三丁目

# 上記所在地は『御詠歌集』による。3丁目にあるのは廃寺になった新光寺の墓地を管理している蓮花寺の住所。
『江戸・東京札所事典』には 「東向島6-29-16」とあり、旧新光寺の住所はこちらが正確です。

【御詠歌(いろは大師)】
みなひとの まいりてやがて たいさんじ らいせのいんどう たのみおきつゝ

【いろは大師、次への順路】
八十四番蓮花寺へ六丁七分


 南葛八十八ヶ所いろは大師の第五十六番は、大心講の『御詠歌集』では新光寺とされており、下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』では真光寺とされています。

 『御詠歌集』の「順路」では向島区寺島町長浦と古い地名で書かれており正確な場所はわかりませんが、『江戸・東京札所事典』には 墨田区東向島6-29-16 と番地まで掲載されています。この番地をgoogle地図で見ると、寺はないのですが墓地があります。

 googleマップには蓮花寺新光苑墓地という名前で登録されているようですね。蓮花寺は八十四番札所がある近くの寺です。「新光苑」という名前を誰が登録したかわからないのですが、表記がこれであってるのだとしたら、『御詠歌集』にある「新光寺」という表記は間違いというわけでなく、その書きかたでも通用していたのかな、と思います。

蓮花寺新光苑墓地(元・新光寺=真光寺?)

 向島の駅からここへ向かうと裏手に着いてしまいました。表に回っても墓地には入れないだろうなと思ったので塀越しに見回してみましたが、大師堂のようなものは残っていないようでした。全体が見渡せるわけではないので確実ではありませんが…

 とにかく、恵心和尚が札所を作った大正14年時点では、ここに新光寺(真光寺)があって、五十六番はここだったようです。

 ところで、『御詠歌集』の「歌」には新しい地名で東向島三丁目と書かれています。新光苑自体は六丁目にあるのですが、墓地を管理している蓮花寺は三丁目にあるんですよね。ということは「歌」を編集した時代(地名の感じから昭和の中ごろとか)には、もう五十六番は蓮花寺にあるという認識だったのかもしれません(「歌」や「順路」という略語については こちら をご覧ください)。

 蓮花寺の境内には「八十四番」の大師像はあるのですが、残念ながら六十五番の像はありませんでした。新光寺が廃寺になる際に失われてしまったのかもしれません。

追記 2022年8月2日

 こちらに南葛八十八ヶ所(いろは大師)の十周年記念塔があると聞き、とりあえず手持ちの写真を拡大してみたところ、本文に貼った写真の中央右寄り奥に写っている塔に南葛の文字を発見。これは表にまわって見なかったのが敗因でした。裏からだと距離があって、肉眼では文字が見えなかったのですよね(わたしはド近眼なので)。

「南葛八十八ヶ所拾…」の文字が見える

 塔があるだけではやり大師像は残ってなさそうなのですが、チャンスがあったら再訪しようと思っています。今度は表門から見たいです。

追記 2022年11月12日 再訪しました

新光寺の跡地、写真中央右奥が墓地の門

 やっと時間がとれたので、今度は墓地の表門から見に行ってきました。写真左手の建物は寺六中央町会会館で、路地の奥の右手が墓地の表門、奥の左手に東向島六丁目こども広場という小さい公園があります。お寺や神社の跡地が公園や公民館になってる事はよくあります。

新光苑墓地の入り口

 墓地の入り口は門扉が格子になっていなくて施錠されています。せっかく来たのにどうしようと一瞬悩んだんですが、塀の上にスマホをかざしたりして、なんとか撮影したのが下の写真です。

石碑の正面と右面が見える写真
石碑の正面と左面が見える写真

(右面)第五十六番大師講

(正面)弘法大師一千百年御遠忌供養塔

(左面)南葛八十八ヶ所拾週年記念

 「週年」は石碑に刻まれているままです。弘法大師の1100年遠忌は昭和9年(1934年)にあたります。南葛八十八ヶ所(いろは大師)は大正8年(1919年)から段階的に作られていき大正14年(1925年)に完成した霊場巡りです。

 ここまでの情報をまとめると

  • いろは大師56番は札所だった新光寺が廃寺になっている
  • 新光寺の墓地は近くにある蓮花寺が管理している
  • 56番の大師像は現存しない
  • 寺の跡地(新光苑墓地)にいろは大師の10周年記念塔が立っている

でした。

弘法大師 空海 密教