宝蔵寺
【札所番号】
いろは大師:第七十五番(仲多度郡善通寺町・善通寺の写)
荒川辺:第六十八番
隅田川二十一ヶ所:第十五番
葛西三十三所:十二番(たぶん観音霊場)
【札所名】宝蔵寺(真言宗智山派)
【所在地】
旧地名 | 向島区木ノ下 |
現在の地名 | 墨田区八広6-9-17 |
【御詠歌(いろは大師75)】
われすまば よもきへはてじ ぜんつうじ ふかきちかひの のりのともしび
【いろは大師、次への順路】
五十六番新光寺(廃寺)へ八丁
墨田区八広の宝蔵寺は南葛八十八ヶ所いろは大師の第七十五番です。荒川辺の六十八番でもあります。このへんまでは想定内だったんですが、境内の石碑を読んでみたら隅田川廿一ヶ所の十五番であり、葛西三十三所(たぶん観音霊場)の十二番でもあるみたいです。
大師像は本堂の階段脇の堂内に地蔵尊とならべて安置されています。第七十五番の台座に座っているのでいろは大師のものだとわかります。番号の台座の向かって右面には
納人
東京下谷区
仲御徒町
(個人名)福富△△?
(個人名)上原○○○?発起人
木之下
(個人名)山川長之助?大正十四年■月吉日
…と刻まれています。■の部分は潰れていて読みにくかったのですが、たぶん七だと思います。個人名も文字が潰れていて全部は読めませんでした。
このお寺をお参りした頃は造立年だけみられれば納得していたので台座の左側は見なかったかもしれません。札所番号のついた台座には、両脇と背面に納人、世話人、発起人、造立年などの情報が刻まれている場合があります(ないこともある)。
こちらのお大師様は数字の3みたいな耳がついたタイプで前札七十番の浄心寺や、七十三番の宝蓮寺、七十七番の小菅・正覚寺にあるのと同じ石工さんの作品かなと思います。
このブログは二系統の南葛八十八ヶ所(いろは大師、南葛南回り)に注目して札所をまわった記録なので、ほかの霊場めぐりはついでと言ってはなんなのですが、あまり注目はしてないんです。でもお参りした先で石碑の文字などを見ると、新たに別の霊場めぐりをみつけてしまったりするのですよね(笑)
左の石碑(標石)に書いてある文字は以下のとおり。
【裏面】
明治四十三年八月吉日
右の石碑(標石)は光の関係であまり良く写らず、読めない部分があるのですが
【向かって右】
十二番目
葛西三十三所【正面】
(小さな文字で)浄厳禅師回?十二蔵■
厄除弘法大師【向かって左】
不動明王【台座】
金剛山
■は読めませんでした。こういうのは別の時間や曇った日などにもう一度見ると簡単に読めたりするんですが、残念ながら家から遠いので、そう頻繁にも行けません。明治四十三年の隅田川廿一ヶ所の碑は近くにある別の寺でも見たと思います(まだ未整理ですが)。