東墨田・万福寺(萬福寺)
【札所番号】
いろは大師:第六十九番(三豊郡観音寺町・観音寺の写)
南回り:第六十七番
葛西三十三所:第九番(これは観音霊場)
【札所名】万福寺(真言宗豊山派)
【所在地】
旧地名 | 向島区木下川 |
現在の地名 | 墨田区東墨田3-12-19 |
【御詠歌(いろは大師65)】
くわんをんの だいひのちかい つよければ をもきつみをも ひきあげてたべ
# 六十九番の御詠歌は「大悲の力強ければ」とする場合が多いみたいですが、大心講の『御詠歌集』にしたがっています。
【いろは大師、次への順路】
五十四番観音堂(八広庚申堂)へ十丁
東墨田の万福寺は南葛八十八ヶ所いろは大師の六十九番であり、南葛八十八ヶ所南回りの六十七番でもあります。堂内には大師像のほかに地蔵尊とおもわれる像がありますが、袈裟などを幾重にも着せてもらっていて全貌が見えません。
大師像は第六十九番の台座に座っており、いろは大師のものだとわかります。南回りの札所であることも間違いないのですが、痕跡はありませんでした。
南回りは明治43年の開創で、大師像の造立などは行わなかったようです。そのため、そこが札所だと知らなければ気づくのは難しい状態です。運がいいと札所番号と御詠歌を刻んだ木の板(扁額)が残っている場合があります。
一方、いろは大師は大正14年の開創です。少しだけ時代が新しいということもありますが、各札所に一体ずつ、石の大師像を造立したことで、活動を停止している現在でも存在に気づく人が多いのです。
庚申塔や如意輪観音像にまざって、札所関連の石塔がありました。
写真向かって右側の白い石には「南葛八十八ヶ所第六十九番/弘法大師 万福寺」と刻まれています。いろは大師のものですね。
向かって左の石には「葛西三十三番之内/千手観音/九番札所」とあります。乎のような文字は手の異体字と思われます。葛西三十三所の標石は近くの宝蔵寺にもありました。
万福寺のまわりは工場地帯で、多少の騒音と悪臭は許可されている、という意味の看板が立っていたりします。お寺の入り口は公園の脇にあるのですが、見のがして通り過ぎてしまい、余計に歩いてしまいました。でも知らない町を歩くのはちょっと楽しいです。