二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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龍光寺(竜光寺)

 亀戸の龍光寺は南葛「いろは大師」の第七十四番札所で、現在は第六十六番の大師像もちらにあります。荒川辺の第七十四番でもあります。



【札所番号】
いろは大師:第四十六番(温泉郡坂本村浄瑠璃寺の写)
いろは大師:第六十六番(三好郡大字白地・雲辺寺の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。白地は三好郡佐馬地村大字白地でしょうか。

荒川辺:第七十四番

【札所名】龍光寺(真言宗智山派

【所在地】

旧地名 城東区亀戸町
現在の地名 江東区亀戸3-56-14

【御詠歌(いろは大師46)】
ごくらくの じやうるりせかい たくらへば うくるくらくは むくひならまじ

【御詠歌(いろは大師66)】
はるばると くものほとりの てらにきて つきひをいまは ふもとにぞみる

【いろは大師、次の札所】
六十七番正観寺へ十二丁



 

龍光寺の大師堂(左奥のお堂)。手間の石碑には厄除弘法大師と刻まれている。
龍光寺大師堂
大師堂の軒下に掲げられた板。第四十六番、第六十六番とある。
南葛いろは大師第四十六番、六十六番大師像

 亀戸の龍光寺は南葛八十八ヶ所いろは大師の第四十六番です。大心講の『御詠歌集』には、六十六番は近くの常光寺とあるので、もともとは四十六番だけがこのお寺にあったはずです。それがどういう事情なのかはわかりませんが、現在は両方とも龍光寺にあります。

 堂内には大師像が二体あるのですが、番号の台座はなく、お堂の軒下に掲げられた板に「南葛八十八ヶ所/第四十六番/第六十六番」と記されており、それでいろは大師の札所であることがわかります。

 大師像はどちらも真っ黒にすすけてあちこち欠けています。頭も表情がわからないほど欠けて、おそらく首から落ちてしまったのをすげ直してあると思います。事情はよくわからないのですが、何かひどいことがあったのだと思います。いろは大師は大正14年の開創なので関東大震災の後のものです。もしかすると戦災にあったものでしょうか。

【追記】南葛いろは大師の研究をされている田辺さん(19番前西のお世話もなさっていると聞いています)という方が葛飾区立図書館に納められた資料(新四国八十八ケ所霊場地絵地図)によると、こちらのお大師様は空襲で焼けてしまったものを修復したということです。また田辺さんと親しい研究家の小川さんによれば、お堂は田辺さんが寄進されたものとのことです。追記ここまで。2022年7月

 次の札所である正観寺までは北十間川のほとりを歩きます。途中、十間橋を渡る際に、運がいいと逆さスカイツリーが見られるかもしれません。スカイツリーは大きすぎてスマホのレンズでは一画面に収まりませんでした。下の写真はパノラマ撮影したものなので歪んでいますが、青空に映えるスカイツリーと、川面に映る逆さまのスカイツリーが見られ、なかなかの絶景です。

北十間川に映る東京スカイツリー(パノラマ撮影)

追記:境内の「厄除弘法大師」の石碑 2022年11月12日

 近くへ行くチャンスがあったので、ちょっと気になっていた厄除弘法大師の石碑の造立年を確認してきました。塀の近くに立てられているので裏面が見えないのですが、スマホを入れて部分的にあちこち写してみたところ「明和…」の文字が写っていたので江戸時代のものだとわかりました。大正時代開創のいろは大師とは関係のない石碑ということになりますね。

龍光寺境内の「厄除弘法大師」の石碑
裏面の一部「明和」の文字が見える

 裏面には中央に「南無大師遍昭金剛」と刻まれていて、その右横に「明和…」と造立年がありますが、塀との隙間が狭すぎてそれ以上写りませんでした。

弘法大師 空海 密教