二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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聖天堂西光寺(現・小松川神社)大師像は現存せず?

 聖天堂西光寺は南葛「いろは大師」の第六十四番であり、南葛「南回り」の第七十三番ですが、西光寺そのものは廃寺となっており、聖天堂は小松川神社内にあります。残念ながら大師堂は残っていません。



【札所番号】
いろは大師:第六十四番(の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。
南回り:第七十三番

【札所名】聖天堂西光寺(小松川神社内)

【所在地】

旧地名 江戸川区小松川新町
現在の地名 江戸川区小松川3-2-1小松川神社内

【御詠歌(いろは大師64)】本尊阿弥陀如来
まへはかみ うしろはほとけ ごくらくの よろづのつみを くだくいしづち

【いろは大師、次の札所】
七十六番正養寺へ七丁七分

【南回り、次の札所】
第七十四番、江戸川区松島・光福寺



 

 当ブログは南葛八十八ヶ所という名称で二系統存在する霊場巡りに注目しています。

  • ひとつは大正14年に宇田川万太郎氏(恵心和尚)率いる大心講が開創したもの→いろは大師
  • もうひとつは明治43年に東京弘山講が開創したもの→南回り

 「いろは大師」「南回り」は呼び分けられないと不便があるので当ブログでつけた便宜上の呼び名です。このふたつは一部の札所が共通してはいますが、経路がまったく違う別の霊場めぐりです。詳しくは「目次のページ」や「いろは大師の由来」をご覧ください。
 

小松川神社
西光寺聖天堂(小松川神社内)

 さて、いろは大師の六十四番、南回りの七十三番は江戸川区小松川の「西光寺(聖天堂)」にあったとされています。お寺は廃寺になったというような話をどこかで読みましたがうろおぼえです。もともと住職がいない念仏堂のような感じだったのかもしれません。現在は小松川神社内に聖天堂が併設されています。しかし、残念ながら大師堂や大師像はここにはないようです。

 以下は境内にあった神社の由来を説明する文書の写真と要点の抜き書きです。
 

小松川神社の由来(江戸川区教育委員会の解説板)
  • このあたりは西小松川村に属していた。
  • 大正元年に荒川(放水路)の開削が始まり小松川町となる。
  • もともとの氏神である堂ヶ島香取神社の分霊を西光寺境内の稲荷社に祀る。
  • 昭和11年に神殿を建立。東篠崎の水神社を合祀。翌12年に遷宮際。
  • 平成九年に現在地に移転。
  • 神社の獅子頭にまつわる昔話:祭礼のために集まった若い衆が酒代を作るために当社の獅子頭を質入れしてしまうが、獅子頭が毎夜うなり声を上げるので、質屋が気味悪がって「借金は帳消しにするので」と獅子頭を神社に返した。

 

小松川神社竣工記念碑(平成十二年のもの)
  • 現在の小松川一、二、三、四丁目は、西小松川村新町だった。
  • 昭和12年に西小松川村の下之庭天祖神社堂ヶ島香取神社から分霊を祀ったのが小松川神社の始まり。
  • 近年(碑文は平成12年作成)このあたりが再開発されることになる。
  • 旧境内地にほぼ重なる位置に2400.14㎡の境内地を得て移転が決まる。
  • 平成9年、神社南側の土地に仮社が作られる。
  • 平成12年新本殿が完成する。

 
 上記の資料を総合すると「聖天堂西光寺」は、境内地内での多少の移動はあったにせよ、現在の小松川神社の場所に昔からあったようです。寺の境内に稲荷社があり、荒川放水路が開削されてからは川の東側にあった氏神様の分霊を稲荷社にお祀りしていました。これが現在の小松川神社の起源だそうです。

 昭和54年版の大心講『御詠歌集』では「聖天堂西光寺」を六十四番としているので、その当時には大師堂があったのか、あるいはすでに失われていたのか、このへんは当時を覚えている人に聞いてみないとわかりそうもありません。

 昔のことを覚えていらっしゃる方がもしご覧になりましたら、ぜひコメント欄で思い出を語ってください。

追記 2022年7月

 コメント欄でいただいた情報によれば、いろは大師64番は奥戸・善紹寺遷座されたということです[いつ?][典拠不明]。善紹寺の開山堂に番号のない大師像が2体安置されているので、そのどちらかが64番かもしれません。当ブログではお寺に確認などは取っていません。

 小松川神社は南回り73番札所でもありますが、こちらは場所だけで、もともと何もなかったと考えられます。

弘法大師 空海 密教