東小松川・善照寺
東小松川・善照寺は南葛「南回り」の第一番札所です。
【札所番号】
南回り:第一番
【札所名】善照寺(真言宗豊山派)
【所在地】
旧番地等 | 江戸川区東小松川2-4502 |
現在の地名 | 江戸川区東小松川3-3-19 |
# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。
【南回り次の札所】
江戸川区内 観音寺(廃寺?)
ネット情報は検索してヒットしたところから読むのが普通ですし、そこだけ読んで離脱するのも普通のことです。そのためあちこちに同じようなことを書いていますが、ここにあらためて当ブログの主旨を書いておきたいと思います。
当ブログは「南葛八十八ヶ所」と呼ばれている八十八ヶ所霊場巡りに注目し、実際に札所をまわっています。この「南葛八十八ヶ所」ですが、実は同じ名前で二系統あります。
ひとつは明治43年に東京弘山講が開創したものです。名称は「新四国南葛八十八ヶ所」「南葛新四国八十八ヶ所」など揺れがあり、どちらが正式ということもないようです。この霊場めぐりは大師像や大師堂の造立を行わなかったようで、札所とされているお寺には札所だった頃の名残は残っていない事が多いです。いくつかのお寺で札所番号と御詠歌、奉納した年月日(明治43〜45年くらいの)が刻まれた木製の扁額を見つけました。順路は旧南葛飾郡のうち主に江戸川区を通り、葛飾区、墨田区、浦安市にも及んでいます。当ブログではこちらを「南回り」「南葛南回り」と読んでいます。
もうひとつは大正12〜14年にかけて、宇田川万太郎氏(恵心和尚)が開創した新四国南葛八十八ヶ所です。順路は旧南葛飾郡のうち主に葛飾区を通り、江戸川区、墨田区、江東区、足立区の柳原(ここは昔葛飾区だった)に及んでいます。当ブログでは恵心和尚が最初に造立した大師像にちなんで「いろは大師」と呼んでいます(時々「北回り」と呼んでいるかもしれません)。
さて、江戸川区東小松川の善照寺は、南葛八十八ヶ所南回りの第一番札所です。いろは大師の第一番にも書いたんですが、あちらの一番とお寺の名前が一字違いで同じ読みなんですよね。最初見間違いかと思って頭がくらくらしました(笑)
善照寺には境内に立派な大師堂がありますが、南葛八十八ヶ所の説明は見えるところにはありませんでした。
八十八ヶ所めぐり、二十一ヶ所めぐりは江戸時代から大正、昭和にかけて、全国に無数に作られました。その多くは札所に指定された寺をめぐるだけで、特別に大師像などの造立を行わなかったようです。南葛南回りも固有の大師像はまだ見た事がないので、作らなかったんだと思います。
ただ、目印になるものがまったくないかというとそうでもなくて、下のイラストのような木製の扁額が残されている場合があります。
フォーマットは必ずしも共通ではないですが、
- その場所の札所番号に対応した御詠歌(ごえいか)が書かれている(必ず)
- 南回りの札所番号が書かれている(ほぼ必ず)
- 東京弘山講という講名が入っている(ことが多い)
- 明治40年代の奉納年月日が入っている(ことが多い)
- ○○寺写△△寺と書かれているかもしれない(ないことも多い)。○○は本場四国の寺で、△△のほうはその扁額が奉納された寺の名前です。
全国にある八十八ヶ所めぐりは、四国の八十八ヶ所の写し、つまりコピーです。南葛南回りの一番は、徳島県鳴門市大麻町坂東・霊山寺とみなされているわけです。そのため、奉納された御詠歌もオリジナルのお寺に捧げられた御詠歌になっていて、歌だけ読んでも何番の写しかわかるようになってます(途中で札所が移動するなどがあると一致しない場合もありそうですが)。
ただし注意しなければいけないのは、ほぼ同じような体裁の扁額が、いろんな系統の霊場巡りで使われています。上のイラストのように、開創した講の名前が入っていればズバリ「南葛八十八ヶ所の南回りのものだ」と判断できます。
でも、講名もなくて、霊場めぐりの名前もない場合もたまにあるので、その場所の札所番号と一致する御詠歌が書かれているかを必ず見ます。一致してれば「ああ、○○の扁額だ」と判断できるわけですが、一致しない場合は「何めぐりに属する扁額だろう?」と悩むわけです。時々、まったく未知の霊場めぐりを発見する場合もあります。
明治40年代に弘法大師霊場を作るのが一大ブームになったそうで、とにかくあっちこっちに霊場めぐりがあります。作ったけれど巡行大師(送り大師)などの行事が諸事情で長くつづかなかったケースなんかもおそらくあって、地元でも忘れ去られてるような札所もあると思います。
閑話休題。東小松川・善照寺の場合は、大師堂内を見られたらもしかするとこのような扁額が残っている可能性もありますが、窓越しに中を見ただけではよくわかりませんでした。とにかく、南回りにはこういう扁額があるかもしれないということをお見知り置きください。これまでに発見した例では、北小岩・真光院、北小岩・正真院…などに残っていました。
ところで、先に書いたように「南葛八十八ヶ所」は作られた年代、作った人、順路のまったく違う二系統あるわけです。わたしは葛飾区内に住んでいて、恵心和尚のいろは大師は知っていて、南葛八十八ヶ所はそれしかないと思っていました。
ある日、東小松川あたりをぶらぶらしていて、善照寺のすぐ近くにある宝積寺で八十八番の扁額をみつけて「あら、南葛の八十八番はここなんだ」と、その時はすべての札所を知ってるわけじゃなかったので、なんとなく納得したわけです。
しかし帰宅後にネットでリストを見ると、宝積寺は入ってない、というか順路に東小松川がないわけです。あれ、どういう事?
それで図書館で郷土資料など調べてみたら、南葛八十八ヶ所が二系統あることがわかったわけです。わたしは散歩中に世間の人が忘れてるみたいな札所をみつけて歩くのがけっこう好きで、言ってしまえばやや札所マニアな人なんですが、南葛なんかはもう研究しつくされててみんな知ってると思ってたから、わりとノーマークだったわけです。
恵心和尚のいろは大師は、いくつかのサイトにリストがあるので、たぶん知ってる人が多いですけど、東京弘山講の南回りは知らない人が多いんじゃないでしょうか。でも実際扁額を掲げて、札所を自認してるお寺もあるわけだし、これは札所探索マニアになりかけてる自分のためにもごっちゃにしておいてはいけないと思い、ひととおり回って見ることにしたわけです。
いろは大師は2020年中にまわりきったのですが、南回りは家から距離があることもあり、まだほとんどまわれていません。2021年にぼちぼちやっていこうと思っています。