東小松川・永福寺
東小松川・永福寺は南葛「南回り」の第八十七番札所です。本堂の軒下に御詠歌の扁額が掲げられています。
【札所番号】
南回り:第八十七番
【所在地】
旧番地等 | 江戸川区東小松川2-4453 |
現在の地名 | 江戸川区東小松川2-1 |
# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。
【御詠歌(南回り87)】
あしびきの やまどりのをの ながをでら あきのよすがら みなをとなへて
【南回り次の札所】
八十八番宝積院
東小松川の永福寺は、南葛八十八ヶ所南回りの八十七番です。八十八番の宝積院のすぐ近くにあります。
境内に大師堂はなく、本堂正面の軒下に扁額が掲げられています。扁額まで距離があるのと、文字が薄れてしまっているのとで、スマホでは上に貼った写真が精いっぱいでした。それでも拡大するなどして読むと、下のような文字が読み取れます。
新四国南葛■…
第八十七番御本尊観世音
あしひきの
やまどりのをの
ながを■■
あ■の■す■■
■■■■■へて東京■■■
明治■■■年
五■ 納施主
(二人分の人名)
「新四国南葛」と書いてあって、奉納されたのが「明治」なので、いろは大師ではなく「南回り」の扁額であることがわかります。もっともこの写真を撮った時のわたしは、まだ「へえ、いろは大師の八十七番か」と思ってました。南葛八十八ヶ所が二系統あると知らなかったからです。
その後、図書館で資料を探すなどして、いろは大師は大正14年開創だと知りました。明治40年代の日付が入った扁額はいろは大師ではなく、まったく別の「南葛八十八ヶ所」のものだとわかりました。当ブログでは呼び分けるために、東小松川を通る南葛を「南回り」と読んでいます。詳しくは目次のページをご覧ください。
この記事を書いている今では、すでにいくつかの札所をまわっていて、どうやら南葛南回りは固有の大師堂・大師像を造立する活動を行っていなかったようだとわかっています。
全国各地にある八十八ヶ所めぐりはお遍路さんで有名な四国の八十八ヶ所霊場をコピーしたものです。遠くまで行かなくても地元でお遍路さんをできるようにしてるわけです。かならずしも固有の大師像は必要なくて、札所に指定されたお寺でお経をあげたりするだけという場合も多いんです。このあたりだと荒川辺、荒綾、四箇領などの八十八ヶ所めぐりがありますが、いずれも固有の大師像はありません。
ただ、それだけだと「札所は本当にここかな?」となってしまうので、途中に道標の石碑を建てたり、札所番号と御詠歌を書いた扁額(木の板)を納めて掲げておいてもらったりしたんだと思います。南葛南回りの場合だと、おそらく昔は各札所に扁額があったと思われます。
ただ、木の板なので劣化したり、戦災で焼けたりで、失われてしまったものが多く、残っているお寺はたぶんあまりないと思います。まだすべての札所をまわりきっていませんが、これまでに見つけて例だと
39番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
40番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
87番 永福寺/江戸川区東小松川2-1-15(今見ているこのページ)
88番 宝積院/江戸川区東小松川2-1-16
この四件だけです。