二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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東小岩・東養寺

【札所番号】
南回り:第三十六番

【札所名】東養寺(真言宗豊山派

【所在地】

現在の地名 江戸川区東小岩2-5-9

【御詠歌(南回り36)】

【南回り次の札所】
三十七番、東小岩善養寺

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東養寺門前

 東小岩の東養寺は南葛八十八ヶ所南回りの三十六番札所ですが、南回りの札所だった名残は見える範囲にはなさそうです。もしあれば、三十六番の御詠歌と、東京弘山講、明治四十五年五月、などと刻まれた扁額が残っているのですが、もう100年以上たってますから残ってるお寺が少ないです。

 こちらのお寺は『江戸川区史』によれば鴻ノ台合戦のおりに滅亡した里見家の家老の持仏・木像薬師如来立像を本尊として草創されたとのことです。鴻ノ台合戦というのは、たぶん国府台合戦のことだと思います。国府台と書いて「こうのだい」と読みます。

 境内に本堂のほかお堂がいくつかありまして、うちひとつは「延命地蔵尊」のお堂です。『区史』によれば「本堂前の延命地蔵尊はもと小岩駅前の通称地蔵通りにあったが、昭和三十八年ここに移された」とのこと。あっ、これかー!JR小岩駅前に地蔵通りってあるんですよ。なのに地蔵はなくて、どこにあるんだろうなって昔ブログに書いたら、どこそこのお寺に納められているそうですって教えてくれた人がいて、いつか探しに行こうって思ったまんまになってました。とうとうたどり着きましたよ…

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東養寺、延命地蔵尊のお堂

地蔵通りについて書いた13年くらい前のブログ記事
www.chinjuh.mydns.jp
 前半長々と眼鏡のことを書いてますが、後半で地蔵通りの話をしています。

 東養寺には境内に小堂がもうひとつあります。本堂向かって右手にあって、写真をとりそびれたのですが、ガラス越しに中を覗いてみて「ここもお地蔵さん?」と思った記憶があります。ただ、一部ネット情報に大師堂だと書いてる人がいて「あれ、そうだっけ?」とという感じです。写真はとらなかったのでわたしの記憶違いかもしれません。近くへ行くことがあったら確認してこようかと思います。大師堂だったら、もっとよく見れば南回りの扁額が納められている可能性もありますし。←大師堂じゃなかったです。↓下に追記

【追記】2020年1月28日
 図書館に本を返しに行く用事があったので再訪しました。

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東養寺境内

 写真左が本堂、右に小さく写っている黒っぽいお堂が延命地蔵尊(昔、小岩駅前の地蔵通りにあったもの)。真ん中のお堂Aが何かですが、中を拝見しましたところ、仏像が三体安置されていまして、自分にはすべて地蔵尊に見えました。お堂の中には個人名が記されている卒塔婆も沢山納められているので写真の掲載は控えますが、

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お堂の中の仏様はこんな感じでした

 中央の大きな仏様は幼子を抱いていて、手に持っているのは経典(巻き物)でしょうか。耳飾りに瓔珞(首飾り)もつけているので地蔵菩薩であって、弘法大師象ではないと思う。
 その足下にある二体の石像は、どちらも座像で、右手に錫杖、左手に宝珠を持ってるから、わりとよく見るお地蔵様のデザインだと思います。
 というわけでお堂Aも地蔵堂でした。少なくとも大師堂じゃなかったです。

 そういえば、こちらのお寺には地蔵堂がほかにもあって、お堂Aとお堂Bの間に、六地蔵と、もう一体別のお地蔵さんがいるお堂もありました(下の写真)。

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第三の地蔵堂
弘法大師 空海 密教