東瑞江・長寿院(豊田神社内)
【札所番号】
南回り:第三十一番
【札所名】長寿院(不明、廃寺)
【所在地】
旧番地等 | 江戸川区東瑞江2-5-3 |
現在の地名 | 江戸川区東瑞江1-18豊田神社内 |
# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。
【御詠歌(南回り31)】
【南回り次の札所】
三十二番、江戸川区江戸川・不動院
今日は立春です。東京は新しい感染者数がやや減り始めましたが、緊急事態宣言の解除には至りませんでした。去年とちがい図書館が閉鎖されたりはしていないので、先週は本を返しに行くついでに少し足を伸ばしていくつか札所をまわりました。
そこですごい発見をしてしまい、自分としてはかなりテンションが上がっています。これまで、南葛南回りには固有の大師堂、大師像はなく、残っているとしたら御詠歌を刻んだ木製の扁額だけ、と書いてきましたが、どうもそうでもないようなんです!
東瑞江の長寿院は南葛八十八ヶ所南回りの三十一番とされています。「南回り」という呼称については目次のページをご覧ください。
このお寺は明治初年に廃寺となり、長寿院が管理していた豊田神社の社殿を跡地に作り、現在に至っていると昭和51年版の『江戸川区史』にあります。南葛南回りは明治43年の開創ですから、当時すでにお寺ではなくなっていたのでしょうが、おそらく村の法事などに使う念仏堂として残っていたんじゃないかと思います。今も集会場のような建物があり、入り口に石仏や石碑が保存されています。
長寿院の石碑群の中に「弘法大師」と刻まれたものがあります。破損が激しいのですが、よく見ると右側に「南葛新四国」の文字が見えます。また脇面には「明治四十三年十二月建」、台座には「弘山講」とはっきり刻まれており、これは間違いなく南葛南回り固有のものです!!(弘山講は南葛南回りを開創した講の名前)
これまで「残っているとすれば御詠歌の扁額だけ。それも失われているお寺が多い」と書いてきました。書きながら「お参りに行っても札所の痕跡はないんだよなあ」と思ってちょっとテンションが下がっていたのですが、これを見てがぜんやる気がでました(笑)
ただ、この石碑は八十八ヶ所すべてのお寺にあったかどうか、そこは疑問だと思います。扁額と違い、これだけ大きな石碑ならそう簡単には処分されないと思うんですよね。でも、これまでまわったお寺にはこういう石碑はなさそうでしたから、あるところにはあるという感じなのかな、と想像しています。
南回りの札所探訪もだんだん楽しくなってまいりました。暦の上ではもう春です。新型コロナ、いつになったら収束するのかなあ。緊急事態が解除されたとしても、油断しているとまたぶり返しそうですよね。