二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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南回り33番の謎、ふたつの西光寺

【札所番号】
南回り:第三十三番番

【札所名】西光寺

【所在地】
|下町タイムス説|西光寺(浄土宗) 江戸川区江戸川4-24|
|当ブログの仮説|西光寺(真言宗江戸川区南篠崎1-24|

【御詠歌(南回り)】

【南回り次の札所】
三十四番、篠崎町・無量寺

「南回り」という呼称については目次のページをご覧ください。


 首都圏は緊急事態宣言ということで(何かのついでに近くを回るのは別として)積極的な参拝をしばらく自粛していたのですが、解除もされましたし(もともと密にならない屋外の寺院探訪ですし)ぼちぼち再開したいと思います。

 さて、南葛八十八ヶ所南回りの第33番ですが、下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』によれば江戸川区江戸川四丁目の西光寺ということなのですが、下の地図を見てください。

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順路上にある二つの西光寺

 赤いバルーンでしめしたのが西光寺なのですが、同じ名前のお寺が順路上に二ヶ所あります。

 南葛南回りはほぼ番号順にまわれるようになっています。しかし、下町タイムス説の江戸川四丁目だと、21番と23番の間にあり、番号順にならないのですよね(ちなみに22番は南にフレームアウトしたところにあります)。『江戸川区史』には寺の北側を阿弥陀耕地と呼んだなどの記述があり、移転した形跡はありません。ちなみにこのお寺の宗派は浄土宗です。

 順路が番号順であるなら、33番の西光寺は32と24の間くらいにあるはずです。そう思い、地図上で探してみたところ、南篠崎にもうひとつ西光寺があることがわかりました。こちらは真言宗豊山派のお寺です。こちらも移転したというような情報がないので、昔からここにあったと思われます。宗派の点でも、こっちじゃないのかなあ?

 しかし、残念なことに確認はできませんでした。これまでにも繰り返し書いていますが、南葛南回りは明治末期の開創で、おそらくあまり長くは活動しなかったんだと思います。そのため札所だった頃の痕跡が残っていないことが多く、どちらのお寺にも見える場所にそれらしいものは残っていませんでした(もし事情をご存知の関係者の方がごらんになりましたら、コメントを残していただけると幸いです)。

 せっかくですから、両方のお寺の写真を貼りますね。

江戸川区江戸川四丁目の西光寺

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江戸川四丁目・西光寺門前より
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門前の地蔵尊。激しくすり減っている。

江戸川区史』より
・天文元年(1532年)の開山。
・当時この地が海岸の茅地であった頃に漂着していた仏像を掘り起こして祭ったのがはじまり。
・寺の北側を阿弥陀耕地と呼んだ。
・本尊は木造阿弥陀如来座像。
・門前の道端に地蔵尊の石仏があり、かつては船人が塩を投げて必ず礼拝した(上の写真)。

南篠崎の西光寺

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南篠崎・西光寺門前より
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南篠崎・西光寺本堂(向かって右脇に地蔵独尊碑がある)
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地蔵独尊碑。ガラスの鞘堂があるためうまく写真には写らないのですが、大変見事なものでした。 

江戸川区史』より
・永正二年(1505年)の草創。
・本尊は木造阿弥陀如来立像。
・鐘楼横に天明年間建立の地蔵独尊碑がある。美しい線の陽刻で珍しい類の碑である(現在は本堂わきにある。

弘法大師 空海 密教