二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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東瑞江・安養寺

【札所番号】
南回り:第二十九番

【札所名】安養寺(浄土宗)

【所在地】

現在の地名 江戸川区 江戸川区東瑞江2-50-2

【御詠歌(南回り29)】

【南回り次の札所】
三十番、東瑞江・泉福寺

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。

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東瑞江・安養寺門前より

 また前回の更新から間があいてしまいました。そして、もたもたしているうちに東京は三度目の緊急事態宣言に入ってしまいました、あらえっさっさー。でも宣言前にいくつかまわったお寺があるので少しずつ更新していきます。

 さて、今回は南回り二十九番札所の安養寺です。今回も発見がありました。三十一番の長寿院にあるのと同じような石碑があったのです。

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南葛八十八ヶ所南回り・第二十九番の石碑(写真向かって右)
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同じ石碑の向かって右側面を写したもの

 安養寺には大師堂はなかったのですが、本堂前から墓地への入り口に庚申塔とならんで石碑がありました。

(正面)
南葛新四国八拾八ヶ所之内
弘法大師
札所第貳拾九番 安養寺

(向かって右側面)
明治四拾参年拾貳月建

 「拾」は漢数字の「十」と同じで、「貳」は漢数字の「二」と同じです。「明治43年12月建」は長寿院にあるのと同じ日付ですが、あちらでは「明治四十三年十二月建」と普通の漢数字で刻まれていました。

 このブログを書いている時点では、東瑞江から一之江にかけての札所を参拝済みで、大師堂や石碑をいくつか発見しています。ひょっとすると南回りを開創した東京弘山講の講元さんがこのあたりの人だったんじゃないかと想像しています(あくまで想像です)。

 南回りについては資料があまりなくて、詳しいことはまったくわかりません。当ブログでは『江戸・東京札所事典』という本を手がかりにして札所をまわっていますが、この本に書いてあることさえ時おり理屈にあわないことがあります。

 東京弘山講が活動していたのは明治末期のことなので、当時の人はおそらく亡くなられていると思うのですが、お爺ちゃん、お婆ちゃんが講に参加していましたよ、というような関係者の方、またお寺のお坊さんなどで昔の事をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄にて情報をご提供くださればと思います。コメント欄はこのページを下のほうへずーっとスクロールすると「コメントを書く」というボタンがあると思います。

弘法大師 空海 密教