江戸川三丁目・明福寺
【札所番号】
南回り:第二十八番
【札所名】明福寺(浄土宗)
【所在地】
現在の地名 | 江戸川区江戸川3-8-1 |
【御詠歌(南回り28)】
つゆしもと つみをてらせる だいにちじ などかあゆみを はこばざらまし
【南回り次の札所】
二十九番、東瑞江・安養寺
当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。
南葛八十八ヶ所南回りの第二十八番は、江戸川区江戸川三丁目の3丁目の明福寺です。境内に南回り固有の大師堂、扁額、石碑がありました。
大師堂は 東瑞江・泉福寺にあるのと似た感じの大師堂で、中にはお大師様の石像が一体納められていました。この石の大師像が南回り固有のものかどうかは、ちょっとわかりません。南回りの大師堂は、あまり数がないのと、格子の隙間から中を拝見しても何も見えない事が多いので傾向がよくわからないのです。
南葛南回りは、東葛西領八十八所という江戸時代の霊場巡りをベースに、再編成したものではないかと言われています。そのため、もしかすると昔からあった大師像をそのまま南回りのお堂に納めているケースもあるかもしれません。
扁額は、これまで発見された南回りのものと同じフォーマットで以下のように二十八番札所の御詠歌が書かれています。
新四国南葛八十八ヶ所
第二十八番御本尊大日如来
つゆしもと
つみをてらせる
だいにちじ
などかあゆみを
はこばざらまし
東京弘山講
明治四十五年
五月 納
施主
秋元…
廣田…
田中…
石碑は状態があまり芳しくありませんが、向かって右側面に「明治四拾三年十二月」の文字が見えます。これは長寿院や東瑞江・安養寺にあるのと同じですから、東京弘山講で建てた南回りの石碑で間違いないと思います。
南回りの札所には何もないことが多いです。こちらのように、大師堂、扁額、石碑と、フルコース(!)であるのは珍しく、とてもテンションが上がりました。
ところで、こちらのお寺は鎌倉時代に作られたとされ、宗派は浄土宗なのですが、親鸞上人による雨乞いの伝説があるそうです。
上人が常陸の笠間から京の都へ行く途中でこの地を通りがかると、ひとりの老翁が現れ、日照り続きで人々が苦しんでいる事を告げました。そこで上人は祈祷により雨を降らせて人々を救いました。
その夜、上人が木陰で休んでいると、先の老翁が毘沙門天の姿にかわる夢を見ました。そこであたりを探してみると林の中に毘沙門堂があったので、その傍らに庵をたてて、ちょうど所持していた聖徳太子の自作とされる尊像を納めて太子堂としたのが、明福寺のはじまりということです。この伝説は『江戸名所図会』にも記録されています。(『江戸川区史』より)
以前は大師堂のうしろに鏡ヶ池と袈裟かけ松があり、どちらも親鸞上人の遺跡とされていたそうですが(『江戸川区史』)、池はもう埋め立てられて残っていないようです。松は確認しそびれました。
鏡ヶ池は、上人が自画像を彫るため鏡代わりにしたと伝えられているそうです(ウィキペディア)。