二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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江戸川区江戸川・蓮華寺

 江戸川区江戸川の蓮華寺は、南葛「南回り」の第十一番札所です。南回り関連の大師像などはありません。またこのお寺には現在知られている霊場巡りに属さない札所番号が刻まれた石碑があります。


【札所番号】
南回り:第二十一番

未知の八十八ヶ所霊場:四国第十一番藤井寺写 #寛政四年
未知の三十三ヶ所霊場:西国第十六番清水寺写 #寛政四年


【札所名】蓮華寺新義真言宗

【所在地】

現在の地名 江戸川区江戸川6-4-11

【御詠歌(南回り21)】

【南回り次の札所】
第二十三番、東葛西・智光院

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。



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江戸川・蓮華寺門前より

 江戸川区江戸川の蓮華寺は、南葛八十八ヶ所の第二十一番札所です。が、例によって南回り関連のものはありませんでした。

 南回りの札所には、固有の大師堂などはないことのほうが多いです。ごくごく一部のお寺に、東京弘山講の名前が入った石碑や、御詠歌の扁額や、大師堂がある場合もありますが、そういったものがあることのほうが珍しい状態です。

 ところで、こちらのお寺には入り口のところに寛政四年の石碑があるのですが、どうも今は忘れ去られた霊場巡りの案内みたいなんですよね。

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蓮華寺庚申塔群。写真右端にあるのが寛政四年の石碑。
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寛政四年の石碑、向かって左面と正面が見える位置から。
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寛政四年の石碑、向かって右面。

(向かって右面)
西国 第十六番/清水寺写 蓮華寺

(正面)
यु 四国第/十一番 藤井寺

(向かって左面)
興教大師六百五十遠忌之…
寛政四壬子歳十一月吉…

 向かって左面は下のほうが少し割れて読みにくくなっていますが、ほかはしっかり読めました。西国のほうが三十三ヶ所観音霊場で、四国は弘法大師霊場で八十八ヶ所あったと思われます。どちらの番号も、現在知られている霊場巡りに属するものではなさそうです。

 実はこれとよく似た石碑が柴又の医王寺にあります。そちらは「西国第九番」「大和国南円堂写」「四国第七四番 讃岐国甲山寺写」「寛政四壬子天七月吉日」と刻まれています。こちらもやはり、現在知られている霊場巡りに属するものではありませんでした。

 四国と西国を並べて書く形式で、寛政四年という日付も一致していますから、これは同じシリーズですね。柴又医王寺と、江戸川蓮華寺は、現在知られていない江戸時代の霊場巡りで繋がっています!

 ところで、蓮華寺の石碑には「興教大師六百五十遠忌」とも書かれているんですが(寛政四年だと649年くらいのような気がするんだけど)、そういえば東小松川の宝積院にも未知の番号が刻まれている石碑があって、「南無伝教大師」と刻まれていたと思います。もしかすると関係があるかもしれないです。東小松川はまだ回っていない札所があるので後日再調査に行きます。いつになったらデルタやらラムダやらは収まるかなあ。


 下記のリンクは、二系統の南葛八十八ヶ所をまわりながら見つけた、何に属するかわからない札所番号のリストです。石碑だったり扁額だったりして、すべてが同じシリーズかどうかはまだわかりません。
nankatu.hatenablog.com

弘法大師 空海 密教