一之江・薬王寺
一之江・薬王寺は南葛「南回り」の第四十七番札所です。何に属するかよくわからない二十七番でもあります(東葛西領の可能性高し)。
【札所番号】
南回り:第四十七番
謎の札所:第二十七番 #東葛西領八十八ヶ所の可能性大
【所在地】
旧番地等 | 江戸川区一之江2-42-2 | |
現在の地名 | 江戸川区一之江5-17 |
#旧番地は『江戸・東京札所事典』と昭和51年版の『江戸川区史』による。
【御詠歌(南回り47)】
【ご詠歌(謎27)】土佐国神峰寺写
み仏のちかひの心 かうのみね やいはのしこく たとひあるとも
# この歌は薬王寺の本堂軒下に掲げられている扁額によります。神峯寺のご詠歌は一般に「御仏の 恵みの心 神峯(こうのみね) 山も誓ひも 高き水音」とされてる事が多いですが、
【南回り次の札所】
第四十八番、一之江・妙音寺
当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。
一之江・薬王寺は南葛八十八ヶ所「南回り」の第四十七番札所です。
上の門前から写した写真で、門の中、本堂の左手前にちらっと見えている緑青色の小さな屋根は大師堂の屋根です。お堂の中も拝見しましたが、東京弘山講の名前や造立年の入ったものはありませんでした。
南回り固有のものはみつからなかったのですが、わたしがかねてより「謎の」とか「未知の」とか呼んでいる別の霊場巡りの扁額と石碑をみつけました。
福寿院というのは薬王寺のことです。こちらのお寺は補陀落山福寿院薬王寺というのがフルネームです。神峯寺「写」というのは、本場四国の神峯寺のコピーとしてこのお寺を札所にしますよ、というような意味です。
霊場巡りは観音霊場とか六阿弥陀とかいろいろありますが、弘法大師霊場の場合のオリジナルは四国八十八ヶ所です。全国に無数にある八十八ヶ所はすべて四国霊場の「写し」、つまりコピーというわけですね。四国まで行かなくても、四国をまわったのと同じご利益があるように、霊場を写してあるわけです。
ご詠歌を現代の仮名遣いで漢字交じりに書き直すと「御仏の誓いの心 神峯(こうのみね) 刃の地獄 たといあるとも」となります。
現在では神峯寺のご詠歌は「御仏の恵みの心 神峯 山も誓いも 高き水音」とされてる事が多いです。ここに限らず、古い資料を見ると、現在知られているのとは違うフレーズが書いてあることがあります。
さらに、門前のお堂の前に石碑もありました。これも謎二十七番であって、南葛南回りのものではありません。
四国第廿七番
神峯寺写
福寿院
このご詠歌が書いてある扁額は「南回り」のものではなくて、まったく別の霊場巡りのものです。同じ形式の扁額が江戸川区と葛飾区の何ヶ所かでみつかっていますが、どれも「四国霊場」としか書かれていないので、何という霊場巡りに属するのかよくわからない状態です。
ただし、これら扁額が見つかった場所は、江戸時代末期に著された『東葛西領八十八ヶ所ひとり案内』という巡拝記で、著者が通ったとする場所とおおむね一致するため、東葛西領のものだろうと考えられます。詳しくは下記の記事をどうぞ。
おまけ:お堂の中の石仏は何?
門前のお堂の中には石仏が六体ほどあるのですが、いずれもすり減っていてなんだかよくわかりません(おそらく体の悪いところに塩をこすりつけてお祈りしてた時代のなごりかと思われます)。
▲光背の形や尊像のシルエットから馬頭観音だとは思うんですが、うすらぼんやりと向かって左側(仏像の右手)に錫杖の痕があるような気もするので地蔵尊の可能性も否定できません。
▲光背の形と、うっすら残っている尊像の形などから、たぶん青面金剛なんじゃないかと思うんですよね。つまり庚申塔だったと思われます。
▲右端の二基もすり減っててよくわからないんですが、奥のやつはなんとなく庚申塔っぽいです(おそらく青面金剛が刻まれていたんじゃないかと)。手前のやつはやっぱり墓石かなあ。完全にすり減っていて何が刻まれていたかもわからないんですけどね。