二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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東葛西・昇覚寺

 東葛西・昇覚寺は南葛「南回り」の第十二番札所です。境内の大師堂内に東京弘山講の文字が入った御詠歌の扁額があります。


【札所番号】
南回り:第十二番

謎(たぶん東葛西領):第一番、第三番
# 第三番は神明寺という別の寺にあったものを移動したようです。昭和30年版の『江戸川区史』によると、神明寺はもともと昇覚寺境内に末寺として作られたもので、後に昇覚寺に合併したとのこと。昭和30年当時の住所で「葛西1-1212」とありますが、江戸川区住所表示旧新対照表を見ると1-1212はなぜか掲載されていないので、おそらく道路にかかって消滅した番地だと思われます。昇覚寺の北と西に、当時はなかった大通りがあります。

謎(葛西):第七番、第十五番

【札所名】昇覚寺(真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区葛西1-869
現在の地名 江戸川区東葛西7-23-17

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。

【御詠歌(南回り12)】本尊:虚空蔵菩薩
のちのよを おもへはくきやう せうさんし してやさんつの なんしよありとも

【南回り次の札所】
第十三番、東葛西・真蔵寺


当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。



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東葛西・昇覚寺門前より
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昇覚寺大師堂

 東葛西・昇覚寺は南葛八十八ヶ所「南回り」の第十二番札所です。境内の大師堂内に東京弘山講の文字が入った御詠歌の扁額がありました。これはちょっとした発見です。それというのも、何ヶ所かで見つかっているものはみんな「明治四十三年五月納」と刻まれていましたが、昇覚寺にあるものは大正○年とありました。

 残念なことに○年の部分は劣化しており、はっきりとは言いにくいのですが「大正五年七月」と見えるような気がします。少なくとも大正時代の初期までは東京弘山講が活動していたということです。東京弘山講は南葛八十八ヶ所「南回り」を開創した講です。

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南葛八十八ヶ所「南回り」第十二番の御詠歌の扁額。大師堂内に掲げられている。
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奉納年月が刻まれた部分を拡大

新四国南葛八十八ヶ所
第十二番御本尊虚空蔵菩薩
のちのよを
 おもへはくきやう
  せうさんし
してやさんつの
  なんしよあり
       とも

 東京弘山講
大正■年(五年か?)
七月 納

施主
 ■■■■…(奉納者の名前)
 ■■■■…(奉納者の名前)

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東京弘山講が納めた扁額を図解

 東京弘山講が納めた扁額はかならずこの形式になっています。木の板に文字を陰刻して、もともとは文字の部分を白く塗ってあったようです(いくつかのお寺に色がついた状態のものが残っています)。

 この御詠歌の扁額は、すべての札所に納める予定だったに違いないのですが、今までに見つけた例は以下の7例のみ。札所は88ヶ所あります(この記事を書いている時点であと7つの札所を回っていません)。

12番 昇覚寺/江戸川区東葛西7-23(今見ているページ)
28番 明福寺/江戸川区江戸川3-8
30番 泉福寺/江戸川区東瑞江2-36
39番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
40番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
87番 永福寺/江戸川区東小松川2-1-15
88番 宝積院/江戸川区東小松川2-1-16

 なぜ扁額があまり残っていないのか、これはもうわからないんですが、何かの理由で奉納が中断されもともと存在しないんじゃないかとも思うんですよね。古いものを沢山残してくださってるお寺にもないことが多いですから。

 第一段として、明治45年に奉納が始まって、途中で止まっているのを大正5年ごろに再開したものの、それも続かなかった、ということなのかなあと。

○ ○ ○

 ところで、昇覚寺はさらに別の霊場巡りの札所になっています。ひとつは江戸時代のもので、おそらく「東葛西領八十八ヶ所」のものだと思います。

 もうひとつは昭和初期のもので、弘法大師1100年遠忌にあわせて作られたものだということまではわかったのですが、なんと呼ばれていた霊場巡りなのかまだハッキリしないのですが、葛西地区のお寺などをまわる八十八ヶ所めぐりだったようです。

 まずは東葛西領関連のものから見て行きます。

門前の石柱その1

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昇覚寺門前の石柱・その1(裏と表)
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石柱を図解。三面に文字が刻まれている。

(Aの面)

四国
第一番
霊山寺写昇覚(以下埋まっている)

(Bの面)

秩父十一面尊像安置

(Cの面)
不許葷酒入山門

 かなり苔むしていて、間違っている部分もあるかもしれませんが、写真のコントラストを調節してなんとか解読した結果、上の図のように文字が刻まれていました。Aの面が東葛西領八十八ヶ所の案内で、札所番号は一番。

 Bの面は秩父音霊場の写しとして十一面観音を安置していますと言ってるようですが、この書き方では札所番号まではわからないですね。同様の石碑が東葛西・東善寺にもあります。東善寺のものには西国霊場(これも観音霊場)の案内も刻まれています。

 となると、わたしが文字はないと思った面に西国霊場の案内が書いてある可能性もあるので、チャンスがあったら確認しに行こうかなとは思います。なお。この石柱には造立年が刻まれていないようです。#確認してきました。やはり文字は三面にしかありませんでした。

門前の石柱その2

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弘法大師一千年遠忌供養塔

(向かって右脇)
弘法大師一千年御忌供養塔

(表面)
यु 四国第一番霊山寺写昇覚寺

(向かって左わき)
天保五年甲午星三月廿一日
当寺第八世
法印 ■■(苔が多く不明瞭)

(裏面)
不許葷酒入山門

 これも東葛西領八十八ヶ所関連のもので、天保五年とあるので1834年に作られたものです。弘法大師一千年遠忌(なくなってから1000年目)にあたる年ですね。

 ちなみに、門前にはもうひとつ「九百五十回遠忌」と刻まれている天明四年(1784年)の石柱もあるんですが、こちらは札所番号がないのでここでは写真を割愛します。

地蔵堂前の石柱

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左手前が地蔵堂。その左わきに小さめの石柱がある
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地蔵堂前の石柱

 うっかりこの面しか写真をとらなかったのですが、ほかの面には何も刻まれていなかったような…いや、見落としてるかもしれないので、チャンスがあったらまた行こうと思います。写真に写ってる面に書いてあるのは以下の通り。# 後日確認しましたが、脇面と裏目には何も刻まれていませんでした。

यु 四国
第三番
金泉寺写 神明寺

 これは、門前にある「石柱その1」と形式が同じなので東葛西領八十八ヶ所の案内だと思います。金泉寺というのは四国の第三番札所のお寺で、神明寺が東葛西領の第三番になっていた寺の名前です。つまりこの石柱はかつて別のお寺にあったってことですね。この寺は現在なくて、昭和51年版の『江戸川区史』にも載っていないので、それ以前に廃寺になったか、村の念仏堂のような無住の寺だったのかもしれません。


 次に昭和初期に作られた霊場巡りのものです。大師堂内にある二体の大師像がそれにあたります。

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昇覚寺大師堂
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堂内にある二体の大師像。左が七番、右が十五番です。

 台座の脇面を見られれば造立年も確認できるかもしれませんが、そうするまでもなくデザインなどから近隣のお寺にあるのと同じシリーズだとわかります。左の大師像には台座に「新四国 第七番」と刻まれており、右の大師像には「新四国弘法大師 第拾五番(十五番)」と刻まれています。

 このシリーズのお大師様には、台座に番号とともに「新四国」「新四国弘法大師」「新四国厄除大師」「新四国安産厄除大師」などと刻まれているのが特徴です。台座の脇面に、必ずではないのですが、昭和8〜9年の造立年が刻まれていることがあります。

 大師堂の写真をもう一度見てください。向かって左わきに「弘法大師一千百年御遠忌供養塔」と刻まれた石柱がありますが、1934年(昭和9年)がそれにあたります。この霊場巡りが1100年遠忌のために整備されたものだとわかります。

 現在この霊場巡りがなんと呼ばれている霊場巡りなのかはっきりしませんが、札所は東葛西に多く、中葛西、北葛西、船堀にもあります。# リストを作りました>謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場


 大師堂内にある扁額が南葛「南回り」のものであることは先に述べました。大師堂の軒下にも御詠歌がおさめられていますが、これはお堂を建て直した際に作られた歌のようです。

みほとけの
 みもとにまいりし
父母のため
 秋の彼岸に
御堂たつ
維時昭和四十三年秋彼岸
  施主 彦田芳包
  十三世 博義代
     宮源謹製

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大師堂軒下の扁額


 札所関連はこのくらいでしょうか。

 ほかにこのお寺には立派な鐘楼があり、昭和五十九年の解体復元修理で構造があきらかにされた貴重な例であることなども書いておくべきでしょうか。この鐘楼には戦時供出をまぬがれた天明五年(1785年)の梵鐘があり、鐘楼も同時期に建てられたものではないかと言われているそうです。入母屋造り二回建て。

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昇覚寺鐘楼
弘法大師 空海 密教