堀切極楽寺
【札所番号】
いろは大師:第六十一番(伊豫国温泉郡小松町字南川・香園寺の写)
#( )内は『御詠歌集』に従っています。小松町は周桑郡だそうです。
荒綾:第六十七番
荒川辺:第六十四番
【所在地】
旧地名 | 葛飾区堀切 |
現在の地名 | 葛飾区堀切2-25-21 |
【御詠歌(いろは大師61)】
のちのよを おもへばまいれ かうをんじ とめてとまらぬ しらたきのみず
【いろは大師、次への順路】
五十九番正王寺へ十一丁
南葛八十八ヶ所いろは大師の順路だと八番も高砂の極楽寺(現在は大光明寺と名前が変わっています)ですが、こちら六十一番は堀切の極楽寺です。荒綾の六十七番、荒川辺の六十四番でもあります。
堂内の大師像は第六十一番の台座に座っていて、これは南葛いろは大師のものです。お世話してる方が毎年干支のついた鏡餅をお供えしてらっしゃるようで、今年はネズミのついた鏡餅がありましたが、四年前の写真を見たところサルの鏡餅でした。
極楽寺の境内には首塚があります。裏側に造立年があり、昭和二年に立てられた石碑だとわかります。初めてこのお寺にお参りした時、お寺の方がいらっしゃって偶然お話を聞けました。昔、お寺の近くに農業用の用水池があったのですが、宅地化が進んでいらなくなったため埋め立てることになり水を抜いたそうなんですが、池の底から白骨化した頭蓋骨と甲冑が出てきたそうです。大昔のものとはいえ遺体なので警察を呼んだところ、骨も甲冑も持って行かれてしまい、その後どうなったかはわからないそうです。この首塚はその時の首を弔うためのものだそうです。
葛飾区あたりは何度か合戦があった場所で、流れ矢が飛んできたとか、寺が焼けてしまったとか、落人が財宝を隠したなどの伝説が各地に残っています。
堀切からだと少し離れていますが、昭和初期に江戸川を浚渫したところ、甲冑や刀剣が沢山出てきたという話も聞いたことがあります。きっと国府台の合戦で死んだ武士たちのものだろうと人々は噂しました。この話でも出たものは警察が持って行ってどうなったかわからないそうです。
実際に昔のものが出てくることもあったんでしょうが、時代の変わり目に生まれた伝説のパターンのような気もしますね。