二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

札所一覧(目次)

「いろは大師」の札所リストへ(ページ内リンク)
「南回り」の札所リストへ(ページ内リンク)

 南葛とは南葛飾郡の略です。現在、南葛八十八ヶ所と呼ばれている霊場めぐりは二系統確認されています。
 
1. ひとつは大正時代に開かれ、順路が亀有など南葛飾郡の北部を通るもの。【いろは大師】
2. もうひとつは明治末期に開かれ、順路が葛西など南葛飾郡の南部を通るもの。【南回り】

 呼び分けられないと面倒なので、ここでは1を「いろは大師」または「北回り」と呼ぶことにします。詳しくは南葛八十八ヶ所いろは大師の由来を読んでください。

 2については明治末期に開かれたという事くらいしか現在わかっていませんので、順路が南のほうを通ることから便宜的に「南回り」と呼ぶことにします。

 なお、どちらの霊場めぐりも現在はほとんど活動しておらず、お寺に聞いても御朱印などはいただけないと思います。


南葛八十八ヶ所【いろは大師(北回り)】

典拠:善紹寺発行『南葛八十八ヶ所御詠歌集』(『御詠歌集』と略します)

 上記の本には札所の所在地が書かれた二種類の資料が掲載されています。ひとつは各札所と御詠歌が書かれたもの(以後「歌」)で、昭和中ごろの住所表記になっています。もうひとつは順路と次の札所への距離を書いたもの(以後「順路」)で、開創当時の古い住所表記で書かれているようです。

 住所の表記法が違うだけでなく、歌にあって順路にない札所やその逆、また「歌」と「順路」であきらかに所在地が違うケースなども見受けられました。それについては各札所の個別記事に詳しく記載することにして、以下は現在の所在地を今の住所表記で記載します。

 記載順は「順路」に従っています。番号順には回れない作りになっています。

 太字は「南回り」と共通の札所です。

南葛八十八ヶ所いろは大師の由来と資料の説明
大師像がないか、札所がみつからないリスト
地図:いろは大師の札所のみをまとめたもの

第01番 善紹寺・門前/葛飾区奥戸6-6
番 外 善紹寺・元大師堂/葛飾区奥戸6-6
第48番 善紹寺/葛飾区奥戸6-6

第07番 宝蔵院/葛飾区奥戸8-5-19
第09番 元熊野社/葛飾区奥戸8-3-13
第15番 専念寺/葛飾区奥戸8-10-19
第04番 観音堂/葛飾区奥戸2-32の墓地内?地蔵堂しかなく、いろは大師固有の大師像がない)
第12番 地蔵堂/葛飾区奥戸2-1 森市地蔵(入定塚)
第23番 正福寺/葛飾区東新小岩4-8-4 ※同名の別寺あり
第28番 東光寺/葛飾区西新小岩5-21-20
第29番 上品寺/葛飾区東新小岩7-8-2
第22番 吹上/(「歌」「順路」葛飾区小岩三丁目)(現存せず?)
番 外 不明/(「順路」のみ、葛飾区下小松町) ※おそらく70番の福島地内と同一
第70番 福島地内/(「歌」のみ)新小岩3-12-14
第87番 東福院(『御詠歌集』では東福寺)/江戸川区松島3-38-18
第64番 聖天堂西光寺/江戸川区小松川3-2-1小松川神社内(大師像は現存せず?) ※同名の別寺あり
第76番 正養寺/江戸川区平井2-5-18
第53番 正養寺/江戸川区平井2-5-18

第74番 安養寺/江戸川区平井6-53-1
第82番 安養寺/江戸川区平井6-53-1
第81番 安養寺/江戸川区平井6-53-1

第51番 燈明寺(平井聖天、灯明寺)/江戸川区平井6-17-30
第65番 燈明寺(平井聖天、灯明寺)/江戸川区平井6-17-30

第85番 東禅寺(東漸寺)/墨田区立花6-17-4(大師像は北向地蔵境内)
第85番 北向地蔵境内/墨田区立花6-10

第71番 明源寺/墨田区立花1-13-10
元第66番 六阿弥陀常光寺/江東区亀戸4-46(現在ここに大師像はない)
第66番 龍光寺/江東区亀戸3-56-14
第46番 龍光寺/江東区亀戸3-56-14

第67番 正観寺/墨田区押上3-32-4
第62番 円通寺/墨田区押上2-39-6
第49番 正覚寺/墨田区八広3-5-2(いろは大師固有の像は確認できず) ※同名の別寺あり
第69番 万福寺(萬福寺)/墨田区東墨田3-12-19 ※同名の別寺あり
第54番 観音堂/墨田区八広5-32-7
第75番 宝蔵寺/墨田区八広6-9-17
第56番 新光寺(廃寺)/東向島6-29-16(大師像は発見できず)
第84番 蓮華寺/墨田区東向島3-23-17
第72番 稲荷境内/墨田区墨田3-10-2東清寺(大師像は発見できず)
第68番 森田屋敷地内/不明(詳しくは本文にて)
第86番 正福寺/墨田区墨田2-6-20 ※同名の別寺あり
第79番 多聞寺/墨田区墨田5-31-13
第80番 理性院(理性寺)/足立区柳原2-5-1
第77番 正覚寺/葛飾区小菅1-3-6 ※同名の別寺あり
第60番 宝燈寺(正しくは宝性寺)/飾区堀切4-54-2
第61番 極楽寺/葛飾区堀切2-25-21 ※同名の別寺あり
第59番 正王寺/葛飾区堀切5-29-14
第55番 普賢寺/葛飾区東堀切3-9-3
第36番 西光寺/葛飾区宝町2-1-1 ※同名の別寺あり
第34番 慈眼院/葛飾区四つ木4-19-33
第43番 善福院/飾区四つ木3-4-29
第33番 西光寺/葛飾区四つ木1-25-8 ※同名の別寺あり
第44番 愛宕下/葛飾区四つ木2-20-8白髭神社
第38番 浄光寺(木下川薬師)/葛飾区東四つ木1-5-9
第32番 真禅寺/葛飾区東立石1-22-3
第30番 正覚寺/葛飾区東立石1-20-2 ※同名の別寺あり
第42番 地蔵堂境内/葛飾区東立石4-12ポケット公園内
第39番 原神社内/葛飾区東立石4-39-8(確認できず)
第35番 宅地添/葛飾区立石4-29-10
第40番 西円寺/葛飾区立石8-5-18(確認できず)
第37番 南蔵院/葛飾区立石8-40-25
第63番 宝泉寺/葛飾区青戸1-18-16
第41番 勝養寺/葛飾区青戸3-25-14
第31番 佐々木金次郎地内/不明(詳しくは本文にて)
第45番 法門寺(法問寺)/葛飾区青戸6-16-20
番 外 薬神境内(延命寺)/葛飾区青戸8-24-29
第47番 恵明寺/葛飾区亀有3-32-25
第73番 宝蓮寺/葛飾区新宿2-11-22
第52番 宝蓮寺/葛飾区新宿2-11-22 *1
番 外 西念寺・鯖大師/葛飾区新宿2-4-13 *2
前札第70番 浄心寺/葛飾区新宿2-22-20 
第58番 鷺之宮/葛飾区柴又2-5-39
元52番? 良観寺/葛飾区柴又3-33-13 *3
第83番 石井藤吉地内/葛飾区柴又7-7-5とらや裏
第50番 宝生院/葛飾区柴又5-9-18
第57番 医王寺/葛飾区柴又5-13
第24番 地蔵堂(三谷地蔵)/江戸川区北小岩8-23-19八幡神社
第27番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
第26番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
第25番 十念寺/江戸川区北小岩5-32-5
第05番 三十八丁堂/江戸川区西小岩4-10-20
第19番 前西(まいにし)/葛飾区鎌倉1-19-19
第14番 浄光院/葛飾区鎌倉1-31
第13番 大珠院/葛飾区鎌倉4-4-3
第17番 輪福寺/葛飾区鎌倉3-48-17
第06番 地蔵堂/葛飾区鎌倉3-46鼎地蔵
第16番 高砂地蔵堂/葛飾区高砂5-47
第10番 観蔵寺/葛飾区高砂5-5-2
第08番 極楽寺/葛飾区高砂2-11-4大光明寺 ※同名の別寺あり
第03番 阿弥陀堂/葛飾区高砂1-25-4(門扉が閉まっており敷地に入れない)
番 外 石川地内/葛飾区高砂1-13地蔵堂境内
第02番 東覚寺(東学寺)/葛飾区細田3-5
第78番 石田地内/不明(詳しくは本文をお読みください)
第20番 桜屋地内/葛飾区細田3-27-16
第11番 正蔵院/江戸川区上一色3-30-17
第18番 地蔵堂(正蔵院)/江戸川区上一色3-30-17

第21番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10
第88番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10


南葛八十八ヶ所【南回り】

典拠:下町タイムス社発行『江戸・東京札所事典』

 上記の本によれば「南回り」は明治43年12月に東京弘山講により開創されたとあります。このあたりには寛政四年ごろに開かれた「東葛西領八十八所」という霊場めぐりがあり、それをベースに再編したものではないかとのことです。名称は「新四国南葛八十八ヶ所」「南葛新四国八十八所」などと表記されるようです。

 一部の札所は前述の「いろは大師」とかぶっていますが、成立年代もお世話していた講も違う、まったく別の霊場めぐりです。「いろは大師」と呼び分けるため、当ブログでは「南葛南回り」「南回り」と呼ぶことにします。

 以下は『江戸・東京札所辞典』に掲載されたものを書き写しました。住所の一部がやや古くはなっていますが、現在の地図でも探せる程度の違いだと思います。いくつかの札所は順路的に不自然な点があるため、ここではないかと候補もあげています。近々確かめに行く予定ですが、成果は期待できない状況です。

 これまでに参拝したいくつかの札所は、

a. 大師堂がなく、札所番号と明治43年の日付が入った御詠歌の板が掲示されている。
b. 大師堂があっても造立年から「いろは大師」やその他のものだとわかる。
c. 木の板も大師堂もなない。

…というような状態で、bやcの場合はまったく痕跡がないわけです。弘法大師霊場めぐりは新しい時代のものだと各札所に大師堂と大師像を造立するケースが多いですが、それが必須というわけでもありません。おそらく南回りは大師堂を造らないスタイルだったんだと思います。札所番号と御詠歌を刻んだ板(扁額)だけが札所のあった証(あかし)となります。

 以下のリストは番号順ですが、だいたい番号順でまわれるようになっているようです(時おり遠くへ跳ぶ場合がある)。

 太字は「いろは大師」と共通の札所です。
 ★印は「南回り」の扁額が残っている札所です。

01番 善照寺/江戸川区東小松川3-3
02番 観音寺(廃寺?)/江戸川区、不明
03番 善通寺江戸川区平井1-25-38
04番 東覚寺/浦安市堀江193 (順路的におかしい上、浦安にあるのは東学寺)
04番候補/東覚寺/江東区亀戸4-24-1 (順路でいうとここが自然だが、未確認)
05番 法然寺/江戸川区船堀2-10-10
06番 光明寺江戸川区船堀6-8-18
07番 法竜寺/江戸川区船堀6-9-30
08番 安楽寺江戸川区北葛西1-25
09番 法蓮寺/江戸川区北葛西4-5-18
10番 竜光寺/江戸川区北葛西4-22-9
11番 正応寺/江戸川区仲葛西5-36
12番 昇覚寺/江戸川区東葛西7-23
13番 真蔵院/江戸川区東葛西4-38-9
14番 自性院/江戸川区東葛西2-30
15番 梵音寺/江戸川区、不明(東葛西2-28か?)
16番 東善寺/江戸川区松江1-4-4 ※80番も同所
17番 清光寺/江戸川区東葛西3-3-6
18番 正円寺/江戸川区東葛西3-4-22
19番 正観寺/墨田区押上3-32-4 (順路的に不自然)
20番 称専寺/江戸川区、不明(東葛西1-38-23か?)
21番 蓮華寺江戸川区江戸川6-4-11
22番 智光院/江戸川区東葛西3-14-3
23番 真福寺江戸川区江戸川4-23
24番 誠心寺/江戸川区江戸川3-50
25番 円照寺/江戸川区江戸川3-43-9
26番 金蔵寺江戸川区江戸川3-23
27番 浄興寺/江戸川区江戸川3-22-5
28番 明福寺/江戸川区江戸川3-8
29番 安養寺/江戸川区東瑞江2-50-2 ※同名の別寺あり
30番 泉福寺/江戸川区東瑞江2-36 ※83も同所
31番 長寿院/江戸川区東瑞江2-5豊田神社内
32番 不動院江戸川区江戸川1-22
33番 西光寺/江戸川区江戸川4-24 ※同名の別寺あり
34番 無量寺江戸川区篠崎3-70/
35番 万福寺(萬福寺)/江戸川区東小岩2-2-4 ※同名の別寺あり
36番 東養寺/江戸川区東小岩2-5-9
37番 善養寺/江戸川区東小岩2-24-2
38番 宝林寺/江戸川区北小岩3-23
39番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
40番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
41番 十念寺/江戸川区北小岩5-27
42番 円蔵寺/江戸川区南小岩6-16
43番 光蔵寺/江戸川区松本2-31-11
44番 弁天堂/江戸川区松本2-31-11
45番 円勝院/江戸川区鹿骨1-259
46番 勝曼寺/江戸川区一之江1-9-7
47番 薬王寺江戸川区一之江2-42-2
48番 妙音寺/江戸川区一之江3-1-6
49番 地蔵堂江戸川区、不明(一之江エリアのいずこか)
50番 法養寺/江戸川区西一之江1
51番 円福寺江戸川区西一之江3-28
52番 地蔵堂江戸川区、不明(一之江エリアのいずこか)
53番 正蔵院/江戸川区上一色3-30
54番 東覚寺(東学寺)/葛飾区細田3-5-10
55番 浄光院/葛飾区鎌倉1-31-4
56番 輪福寺/葛飾区鎌倉3-46-47
57番 観蔵寺/葛飾区高砂5-5-2
58番 極楽寺/葛飾区高砂2-11-4大光明寺
59番 宗念寺/葛飾細田4-15-1
60番 宝蔵院/葛飾区奥戸8-5-19
61番 専念寺/葛飾区奥戸8-10-19
62番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10
63番 宝城院/浦安市堀江434
64番 延命寺市川市新井1-9-2
65番 花蔵院/浦安市猫実160
66番 善福寺/浦安市当代島441
67番 万福寺(萬福寺)/墨田区東墨田3-12-9 ※同名の別寺あり
68番 上品寺/葛飾区東新小岩7-8-2
69番 東光寺/葛飾区西新小岩5-21
70番 安養寺/江戸川区平井6-53-1 ※同名の別寺あり
71番 灯明寺(平井聖天、燈明寺)/江戸川区平井6-17-30
72番 正養寺/江戸川区平井2-5-18
73番 西光寺/江戸川区小松川3小松川神社内 ※同名の別寺あり
74番 光福寺/江戸川区松島1-9-24
75番 東福院/江戸川区松島3-38-18
76番 照明寺/葛飾新小岩3-38-18
77番 正福寺/葛飾区東新小岩4-8-4
78番 密蔵院/江戸川区鹿骨4-78-1
79番 光照寺江戸川区本一色3-16
80番 東善寺/江戸川区松江1-4-4 ※16番も同所
81番 西蓮寺/江戸川区小松川2-9
82番 仲台院/江戸川区小松川1-1
83番 泉福寺/江戸川区東瑞江2-36 ※30番も同所
84番 源法寺/江戸川区小松川2-16
85番 寿光院/江戸川区小松川2-15-12
86番 正徳寺/江戸川区小松川3-10
87番 永福寺/江戸川区東小松川2-1-15
88番 宝積院/江戸川区東小松川2-1-16



何に属しているかわからない札所番号

*1:「歌」は52を柴又の良観寺としている。

*2:「順路」にはない

*3:「順路」にはない。「歌」では52番とするが、現在52は宝蓮寺にある。旧所在地だろうか。

東小岩万福寺(萬福寺)

【札所番号】
南回り:第三十五番

【札所名】万福寺(真言宗豊山派

【所在地】

現在の地名 江戸川区東小岩2-2-4

【御詠歌(南回り35)】

【南回り次の札所】
三十六番・東小岩東養寺

 2021年も明けて20日ほどたちました。東京は新型コロナの陽性者が連日1000人を超える勢いで、緊急事態宣言も出ましたがなかなか収まりませんね。昨年の宣言のときも今より厳しい自粛要請だったのに効果が出るまで時間がかかりましたから、落ちつくのにまだしばらくかかるかもしれません。

 お寺めぐりは基本屋外ですし、よほどの観光地でないかぎり密になったりは決してないのですが、現地まで行くのにバスに乗ることも多いです。そうなると、やはり自粛すべきなんだろうなと思います。良く晴れたきもちのいい日などは、出かけたくて仕方がないんですけどねー。

 それでも宣言前に参拝した札所の写真がいくつかあるので更新していきたいと思います。すでにいろは大師の札所はめぐりきりましたので、これからの更新は基本みんな「南回り」の札所です。ついでがあって出かけた時などの撮影するので番号順ではなく、きまぐれに、ランダムに更新していきます。(いろは大師、南回り、という呼び分けについては目次のページをご覧ください)。

 ただ、この先はおそらく読んで面白い感じにはならないんです。それというのもほとんどのお寺が「ここは南回りの○番札所」とわかっているだけで、なんの痕跡もなさそうなんですよね。

 南葛八十八ヶ所の南回りは固有の大師像や大師堂の造立をおこなわないスタイルだったようです。明治45年に札所番号と御詠歌を刻んだ木の板(扁額)を各札所にかかげているようなんですが、なんせ木の板ですし、途中に戦争もありました。もう残っていない場合が多いんです。

 今回ご紹介する東小岩・万福寺もそうです。下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』で南葛八十八ヶ所南回りの三十五番をこのお寺だとしていて、順路的にも矛盾がないので間違いないとは思うのですが、残念ながら札所の痕跡は残っていないようです。

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東小岩万福寺、門前より
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万福寺の由緒を説明した看板(江戸川区教育委員会

永福寺

【札所番号】
南回り:第八十七番

【札所名】永福寺真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区小松川2-4453
現在の地名 江戸川区小松川2-1

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。

【御詠歌(南回り87)】
あしびきの やまどりのをの ながをでら あきのよすがら みなをとなへて

【南回り次の札所】
八十八番宝積院

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小松川永福寺本堂
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本堂軒下に掲げられた南回り八十七番の扁額

 東小松川永福寺は、南葛八十八ヶ所南回りの八十七番です。八十八番の宝積院のすぐ近くにあります。
 境内に大師堂はなく、本堂正面の軒下に扁額が掲げられています。扁額まで距離があるのと、文字が薄れてしまっているのとで、スマホでは上に貼った写真が精いっぱいでした。それでも拡大するなどして読むと、下のような文字が読み取れます。

新四国南葛■…
第八十七番御本尊観世音
あしひきの
やまどりのをの
ながを■■
あ■の■す■■
■■■■■へて

東京■■■
明治■■■年
五■  納

施主
(二人分の人名)

 「新四国南葛」と書いてあって、奉納されたのが「明治」なので、いろは大師ではなく「南回り」の扁額であることがわかります。もっともこの写真を撮った時のわたしは、まだ「へえ、いろは大師の八十七番か」と思ってました。南葛八十八ヶ所が二系統あると知らなかったからです。

 その後、図書館で資料を探すなどして、いろは大師は大正14年開創だと知りました。明治40年代の日付が入った扁額はいろは大師ではなく、まったく別の「南葛八十八ヶ所」のものだとわかりました。当ブログでは呼び分けるために、東小松川を通る南葛を「南回り」と読んでいます。詳しくは目次のページをご覧ください

 この記事を書いている今では、すでにいくつかの札所をまわっていて、どうやら南葛南回りは固有の大師堂・大師像を造立する活動を行っていなかったようだとわかっています。

 全国各地にある八十八ヶ所めぐりはお遍路さんで有名な四国の八十八ヶ所霊場をコピーしたものです。遠くまで行かなくても地元でお遍路さんをできるようにしてるわけです。かならずしも固有の大師像は必要なくて、札所に指定されたお寺でお経をあげたりするだけという場合も多いんです。このあたりだと荒川辺、荒綾、四箇領などの八十八ヶ所めぐりがありますが、いずれも固有の大師像はありません。

 ただ、それだけだと「札所は本当にここかな?」となってしまうので、途中に道標の石碑を建てたり、札所番号と御詠歌を書いた扁額(木の板)を納めて掲げておいてもらったりしたんだと思います。南葛南回りの場合だと、おそらく昔は各札所に扁額があったと思われます。

 ただ、木の板なので劣化したり、戦災で焼けたりで、失われてしまったものが多く、残っているお寺はたぶんあまりないと思います。まだすべての札所をまわりきっていませんが、これまでに見つけて例だと

39番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
40番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
87番 永福寺江戸川区小松川2-1-15(今見ているこのページ)
88番 宝積院/江戸川区東小松川2-1-16 

 この四件だけです。

宝積院

【札所番号】
南回り:第八十八番

松江村廿一ヶ所:第十番

【札所名】宝積院(真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区小松川2-4471
現在の地名 江戸川区小松川2-1-16

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。

【御詠歌(南回り88)】本尊薬師如来
なむやくし しよびやうなかれと ねがひつゝ まいれるひとは おほくぼのてら

【御詠歌(松江村10)】
うまれつゝ いでいるいきの そのまゝに あうんのにじの たへまなければ

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小松川・宝積院の大師堂と南無興教大師の石碑

 東小松川の宝積院(ほうしゃくいん)は、南葛八十八ヶ所南回りの第八十八番です。南回りは東小松川(旧・松江村)の善照寺から始まって、同村内の宝積院に戻ってくる霊場巡りです。南回りの札所としては、わたしはここを最初にみつけました。墓地内に大師堂があり、軒下に扁額がふたつ掲げられています。ひとつは南葛南回りのもので、もうひとつは松江村二十一ヶ所という、わたしはまったく聞いた事のない霊場巡りのものでした。さらにお堂の脇に「南無伝教大師」と刻まれた石柱があり、脇面に「四国三十五番」の文字も見えます。

 まずは南葛南回りについて書きます。

 同じ事を何度もいろんなところに書いていますが、南葛八十八ヶ所と呼ばれている霊場巡りは二系統あります。作られた年代も違えば、作った人も、順路も、まったく違う別の霊場巡りです。二つあって呼び分けられないと不便なので、当ブログでは「いろは大師」「南回り」と呼び分けています。詳しくは「目次のページ」を読んでください。

 宝積院の札所は、目的もなくこのあたりを歩いてみつけたので、その時は「あれ、南葛(いろは大師だと思っている)の札所ってこんなところにもあるの?」と適当に納得して、写真も文字が読めればそれでいいやくらいの気持ちで写しました。ピンボケしているのはそのせいです。帰宅後に調べたら、いろは大師の八十八番は葛飾区奥戸の妙厳寺だし、ならば宝積寺にある八十八番の扁額は一体なんなのか?! と思ったのがこのブログをはじめるきっかけでした。

 図書館で郷土資料をあたったところ下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』に、八十八番を東小松川宝積院とする霊場巡りについて「明治四十三年十二月に東京弘山講により開創された」と書いてありました。この本では名称を「南葛新四国八十八所」としていますが、札所に残っている扁額を見る限り「新四国南葛八十八ヶ所」と刻まれており、表記には揺れがあり、正式にどうという決まりもないんだと思います。

 お堂の中を格子の隙間から拝見すると、小さなガラスケースに収められた大師像が安置されているようです。この大師像が南回りのために安置されたのか、それとも松江村二十一ヶ所のものなのかは、ちょっとわかりません。

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新四国南葛八十八ヶ所(南回り)・第八十八番の扁額

 これが南回り八十八番の扁額です。

新四国南葛八十八ヶ所
第八十八番御本尊薬師如来
なむやくし
しよびやうなかれと
ねがひつつ
まいれるひとは
おほくぼのてら

東京弘山講
明治四十五年
五月 納

施主
(四人分の氏名、ピンボケで読めず)

 このブログを書いている時点では、すでに何ヶ所かの札所で同様の扁額を見ています。必ず東京弘山講という南回りを開創した講名と、明治四十五年の文字が入っていました。例>四十番・北小岩正真寺三十九番・北小岩真光寺



 次に、松江村二十一ヶ所(廿一ヶ所)についても見ていきます。こちらも大師堂の軒下に扁額がかかっていました。 

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松江村廿一ヶ所・第十番の扁額

松江村廿一箇所
第十番 宝積院
うまれつゝ
いでいるいきの
そのまゝに
あうんのにじの
たへま
なければ

 刻まれているのはこれだけで、講の名前も年代もありません。これはまったく知らない霊場巡りです。『江戸・東京札所事典』にも、二十一ヶ所めぐりの例がいくつか掲載されていますが松江村はありませんでした。今後このあたりのお寺をまわってみる予定なので、もっとみつかるかもしれません。


 最後にお堂脇の石柱についてですが、正面には「南無伝教大師」とあり、向かって左面に

四国第卅五番(三十五番)
土州清瀧寺写
宝積院

と刻まれています。ちなみに興教大師も真言宗のお坊さんです。弘法大師の没後、荒廃していた真言宗を建て直した人ですね。向かって右面にも何か漢字で書かれているのですが、苔むしたりしてほとんど読めませんでした。これももしかすると何かの霊場巡りの一部なのかもしれないのですが、現在何に属しているかまったく不明です。

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南無伝教大師の石柱、向かって左面


 南葛八十八ヶ所が二系統あることに気づいただけでも自分の中では大発見だったのですが、さらに二つ、まったく未知の霊場巡りをみつけてしまいました。昔の人はどれだけ霊場巡りが好きだったんでしょうね!

何に属するかわからない札所番号

 おはようございます。寝て起きたら購読者が30人をこえていてちょっと驚いています。何かで紹介してもらえたのでしょうが…一体何が起こったんでしょう(汗)

 わたしが作るコンテンツは、だいたい「あれ何だっけ?」「こういうのをみつけたけど、一体なんだろう?」みたいな思いつきを検索した時にヒットすると嬉しい感じになっていて、更新を端から読んでもあまり面白くないかもしれないですけど、とりあえずよろしくおねがいします!


 さて、今回は二系統の南葛をまわっているうちに見つけた未知の霊場めぐりについてメモ的にまとめておきます。

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▲第56番 上一色・番正蔵院:この寺が西新井組(四箇領の別名)の二十三番であることと、「別組 第五十六番」である事が刻まれた石碑がある。
 
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▲第61番 細田・東覚寺(東学寺):御詠歌の扁額。
 
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▲第74番 柴又・医王寺:江戸時代の石碑に四国第七四番とある。
 
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▲第76番 葛飾区鎌倉・浄光院:御詠歌の扁額。

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▲第78番 北小岩・十念寺:御詠歌の扁額。

 詳しくはリンク先を読んでみてください。

 これらは南葛のどちらの系統でもなく、四箇領、荒川辺、荒綾にも属しません。

 61番、76番、78番は、あきらかに同じ形式の扁額なので同じ組(同じ霊場巡り)です。

 56番と74番は仲間かどうかわかりません。

 しかし、こうして地図に配置してみると、比較的近い番号で固まっているので、すべてが同じ組の札所だったとしても不思議ないなあと思っています。

 もしすべてが同じ組であるとしたら、医王寺の石碑は古いので、江戸時代からある霊場めぐりかもしれないですね。

 来年は南回り関連で江戸川区に足をのばす予定です。新たな手がかりが発見できるかもしれません?!

上記を書いたあとに見つけたものを下に追加。

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▲第35番 東小松川・宝積院:南無興教大師の石柱

東小松川・善照寺

【札所番号】
南回り:第一番

【札所名】善照寺(真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区小松川2-4502
現在の地名 江戸川区小松川3-3-19

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。

【南回り次の札所】
江戸川区内 観音寺(廃寺?)
 

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善照寺門前
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善照寺の大師堂

 ネット情報は検索してヒットしたところから読むのが普通ですし、そこだけ読んで離脱するのも普通のことです。そのためあちこちに同じようなことを書いていますが、ここにあらためて当ブログの主旨を書いておきたいと思います。

 当ブログは「南葛八十八ヶ所」と呼ばれている八十八ヶ所霊場巡りに注目し、実際に札所をまわっています。この「南葛八十八ヶ所」ですが、実は同じ名前で二系統あります。

 ひとつは明治43年に東京弘山講が開創したものです。名称は「新四国南葛八十八ヶ所」「南葛新四国八十八ヶ所」など揺れがあり、どちらが正式ということもないようです。この霊場めぐりは大師像や大師堂の造立を行わなかったようで、札所とされているお寺には札所だった頃の名残は残っていない事が多いです。いくつかのお寺で札所番号と御詠歌、奉納した年月日(明治43〜45年くらいの)が刻まれた木製の扁額を見つけました。順路は旧南葛飾郡のうち主に江戸川区を通り、葛飾区、墨田区浦安市にも及んでいます。当ブログではこちらを「南回り」「南葛南回り」と読んでいます。

 もうひとつは大正12〜14年にかけて、宇田川万太郎氏(恵心和尚)が開創した新四国南葛八十八ヶ所です。順路は旧南葛飾郡のうち主に葛飾区を通り、江戸川区墨田区江東区、足立区の柳原(ここは昔葛飾区だった)に及んでいます。当ブログでは恵心和尚が最初に造立した大師像にちなんで「いろは大師」と呼んでいます(時々「北回り」と呼んでいるかもしれません)。

 さて、江戸川区小松川の善照寺は、南葛八十八ヶ所南回りの第一番札所です。いろは大師の第一番にも書いたんですが、あちらの一番とお寺の名前が一字違いで同じ読みなんですよね。最初見間違いかと思って頭がくらくらしました(笑)

 善寺には境内に立派な大師堂がありますが、南葛八十八ヶ所の説明は見えるところにはありませんでした。

 八十八ヶ所めぐり、二十一ヶ所めぐりは江戸時代から大正、昭和にかけて、全国に無数に作られました。その多くは札所に指定された寺をめぐるだけで、特別に大師像などの造立を行わなかったようです。南葛南回りも固有の大師像はまだ見た事がないので、作らなかったんだと思います。

 ただ、目印になるものがまったくないかというとそうでもなくて、下のイラストのような木製の扁額が残されている場合があります。

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南葛八十八ヶ所南回りの札所に残っている可能性がある御詠歌の扁額(イメージ図)。

 フォーマットは必ずしも共通ではないですが、

  • その場所の札所番号に対応した御詠歌(ごえいか)が書かれている(必ず)
  • 南回りの札所番号が書かれている(ほぼ必ず)
  • 東京弘山講という講名が入っている(ことが多い)
  • 明治40年代の奉納年月日が入っている(ことが多い)
  • ○○寺写△△寺と書かれているかもしれない(ないことも多い)。○○は本場四国の寺で、△△のほうはその扁額が奉納された寺の名前です。

 全国にある八十八ヶ所めぐりは、四国の八十八ヶ所の写し、つまりコピーです。南葛南回りの一番は、徳島県鳴門市大麻町坂東・霊山寺とみなされているわけです。そのため、奉納された御詠歌もオリジナルのお寺に捧げられた御詠歌になっていて、歌だけ読んでも何番の写しかわかるようになってます(途中で札所が移動するなどがあると一致しない場合もありそうですが)。

 ただし注意しなければいけないのは、ほぼ同じような体裁の扁額が、いろんな系統の霊場巡りで使われています。上のイラストのように、開創した講の名前が入っていればズバリ「南葛八十八ヶ所の南回りのものだ」と判断できます。

 でも、講名もなくて、霊場めぐりの名前もない場合もたまにあるので、その場所の札所番号と一致する御詠歌が書かれているかを必ず見ます。一致してれば「ああ、○○の扁額だ」と判断できるわけですが、一致しない場合は「何めぐりに属する扁額だろう?」と悩むわけです。時々、まったく未知の霊場めぐりを発見する場合もあります。

 明治40年代に弘法大師霊場を作るのが一大ブームになったそうで、とにかくあっちこっちに霊場めぐりがあります。作ったけれど巡行大師(送り大師)などの行事が諸事情で長くつづかなかったケースなんかもおそらくあって、地元でも忘れ去られてるような札所もあると思います。

 閑話休題。東小松川・善照寺の場合は、大師堂内を見られたらもしかするとこのような扁額が残っている可能性もありますが、窓越しに中を見ただけではよくわかりませんでした。とにかく、南回りにはこういう扁額があるかもしれないということをお見知り置きください。これまでに発見した例では、北小岩・真光院北小岩・正真院…などに残っていました。



 ところで、先に書いたように「南葛八十八ヶ所」は作られた年代、作った人、順路のまったく違う二系統あるわけです。わたしは葛飾区内に住んでいて、恵心和尚のいろは大師は知っていて、南葛八十八ヶ所はそれしかないと思っていました。

 ある日、東小松川あたりをぶらぶらしていて、善照寺のすぐ近くにある宝積寺で八十八番の扁額をみつけて「あら、南葛の八十八番はここなんだ」と、その時はすべての札所を知ってるわけじゃなかったので、なんとなく納得したわけです。

 しかし帰宅後にネットでリストを見ると、宝積寺は入ってない、というか順路に東小松川がないわけです。あれ、どういう事?

 それで図書館で郷土資料など調べてみたら、南葛八十八ヶ所が二系統あることがわかったわけです。わたしは散歩中に世間の人が忘れてるみたいな札所をみつけて歩くのがけっこう好きで、言ってしまえばやや札所マニアな人なんですが、南葛なんかはもう研究しつくされててみんな知ってると思ってたから、わりとノーマークだったわけです。

 恵心和尚のいろは大師は、いくつかのサイトにリストがあるので、たぶん知ってる人が多いですけど、東京弘山講の南回りは知らない人が多いんじゃないでしょうか。でも実際扁額を掲げて、札所を自認してるお寺もあるわけだし、これは札所探索マニアになりかけてる自分のためにもごっちゃにしておいてはいけないと思い、ひととおり回って見ることにしたわけです。

 いろは大師は2020年中にまわりきったのですが、南回りは家から距離があることもあり、まだほとんどまわれていません。2021年にぼちぼちやっていこうと思っています。

南葛八十八ヶ所(いろは大師)札所の地図

 以下は「いろは大師」の札所のみを地図にまとめたものです。「南回り」の札所は別の地図にまとめる予定です(だいぶ先になるかもしれませんが)。

 黒いラインは札所間の距離を見るために便宜的に引いたものです。その道を通るのが伝統とかではありませんので注意してください。また車で通ることをまったく考慮していません。

 ×印のマーカーは大師像がなかったか、敷地に入れなかったので見られなかったかのどっちかです。
 ?印のマーカーはそのあたりに札所があったはずだけど、現在は廃止されているか、みつからない場所です。

 マーカーの色分けは、大心講『御詠歌集』の道順里程(以下「順路」)に書かれている東西南北に対応しています。
青:東
赤:南
黄:西
紫:北

 いろは大師は毎月5日、10日、18日、27日の4日間ですべての札所をまわる行事をしていたそうで、東西南北はそのためのエリア分けだと思います。下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』に掲載されている分け方とは少し違う部分があるので、時代ごとに回りやすいように変化していたと思います。

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大心講『御詠歌集』の道順里程(順路)。赤い○の部分に東西南北が記されている。進む方向とは関係がない。

いろは大師:大師像がないか、札所がみつからないリスト

 八十八ヶ所めぐり、二十一ヶ所めぐりなどの、弘法大師霊場は、かならずしも大師像や大師堂を必要としません。四箇領、荒綾、荒川辺など、多くの弘法大師霊場めぐりには固有の大師像などはもともと作られなかったようです。
 南葛八十八ヶ所は、南回りには大師像がもとからないのですが、いろは大師にはすべての札所に大師像が造立されたと思われます。以下のリストは大師像をみつけられなかった札所のリストです。途中に戦争もありましたので(いろは大師は大正14年開創)、戦時中に失われて新たに造立されなかったものもあると思います。
 もし、昔のことをご記憶の方がこのブログをご覧になりましたら、いつごろどこにあったよとか、何年ごろに霊場終いをして撤去されたよとか、子供の頃にお参りした記憶がありますとか、コメント欄に思い出をお寄せください。

【いろは大師固有の大師像がなかった札所】

第04番 観音寺
第64番 聖天堂西光寺(現・小松川神社)
第48番 八広・正覚寺
第56番 新光寺(真光寺)
第72番 玉ノ井稲荷(現・東清寺)
第39番 原神社内
第36番 宝町・西光寺
 上記は札所とされる寺や神社の場所はわかっているものの、いろは大師固有の像は見つけられなかった。第36番は、番号の台座が物置きにしまわれているのは確認しているが、像がどうなったかは聞いてないのでわかりません。

【札所が廃止されているか場所がわからない】

第22番 吹上
第68番 森田屋敷地内
第31番 佐々木金次郎地内
第78番 石田地内
 これらは道路の拡張や、土地の所有者の引っ越し等で霊場終いをし、その後は新設されなかったのではないかと思う。ひょっとすると大師像自体はいずれかのお寺に納められている可能性はあるが、当ブログでは行方を確認できていない。

【敷地に入れず像の存在を確認できなかった札所】

第3番 高砂阿弥陀堂
第40番 西円寺
 第3番は門扉が施錠されていて堂の前までいけなかった。第40番は幼稚園の園庭をかねているため、子供たちを遊ばせているところへコロナ禍ということもあり入って行きにくかったため門前で引き返した。後日、チャンスがあれば再訪したい。

【別の寺に移動しているのを確認している】

第66番 六阿弥陀常光寺
 66番は第46番の龍光寺にあるのを確認している。

【既知の札所と同一と思われるもの】

下小松町、謎の番外
 70番の福島地内と同一と思われる。

弘法大師 空海 密教