二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

札所一覧(目次)

「いろは大師」の札所リストへ(ページ内リンク)
「南回り」の札所リストへ(ページ内リンク)

 南葛とは南葛飾郡の略です。現在、南葛八十八ヶ所と呼ばれている霊場めぐりは二系統確認されています。
 
1. ひとつは大正時代に開かれ、順路が亀有など南葛飾郡の北部を通るもの。【いろは大師】
2. もうひとつは明治末期に開かれ、順路が葛西など南葛飾郡の南部を通るもの。【南回り】

 呼び分けられないと面倒なので、ここでは1を「いろは大師」または「北回り」と呼ぶことにします。詳しくは南葛八十八ヶ所いろは大師の由来を読んでください。

 2については明治末期に開かれたという事くらいしか現在わかっていませんので、順路が南のほうを通ることから便宜的に「南回り」と呼ぶことにします。

 なお、どちらの霊場めぐりも現在はほとんど活動しておらず、お寺に聞いても御朱印などはいただけないと思います。


南葛八十八ヶ所【いろは大師(北回り)】

典拠:善紹寺発行『南葛八十八ヶ所御詠歌集』(『御詠歌集』と略します)

 上記の本には札所の所在地が書かれた二種類の資料が掲載されています。ひとつは各札所と御詠歌が書かれたもの(以後「歌」)で、昭和中ごろの住所表記になっています。もうひとつは順路と次の札所への距離を書いたもの(以後「順路」)で、開創当時の古い住所表記で書かれているようです。

 住所の表記法が違うだけでなく、歌にあって順路にない札所やその逆、また「歌」と「順路」であきらかに所在地が違うケースなども見受けられました。それについては各札所の個別記事に詳しく記載することにして、以下は現在の所在地を今の住所表記で記載します。

 記載順は「順路」に従っています。番号順には回れない作りになっています。

 太字は「南回り」と共通の札所です。

南葛八十八ヶ所いろは大師の由来と資料の説明
大師像がないか、札所がみつからないリスト
地図:いろは大師の札所のみをまとめたもの

第01番 善紹寺・門前/葛飾区奥戸6-6
番 外 善紹寺・元大師堂/葛飾区奥戸6-6
第48番 善紹寺/葛飾区奥戸6-6

第07番 宝蔵院/葛飾区奥戸8-5-19
第09番 元熊野社/葛飾区奥戸8-3-13
第15番 専念寺/葛飾区奥戸8-10-19
第04番 観音堂/葛飾区奥戸2-32の墓地内?地蔵堂しかなく、いろは大師固有の大師像がない)
第12番 地蔵堂/葛飾区奥戸2-1 森市地蔵(入定塚)
第23番 正福寺/葛飾区東新小岩4-8-4 ※同名の別寺あり
第28番 東光寺/葛飾区西新小岩5-21-20
第29番 上品寺/葛飾区東新小岩7-8-2
第22番 吹上/(「歌」「順路」葛飾区小岩三丁目)(現存せず?)
番 外 不明/(「順路」のみ、葛飾区下小松町) ※おそらく70番の福島地内と同一
第70番 福島地内/(「歌」のみ)新小岩3-12-14
第87番 東福院(『御詠歌集』では東福寺)/江戸川区松島3-38-18
第64番 聖天堂西光寺/江戸川区小松川3-2-1小松川神社内(大師像は現存せず?) ※同名の別寺あり
第76番 正養寺/江戸川区平井2-5-18
第53番 正養寺/江戸川区平井2-5-18

第74番 安養寺/江戸川区平井6-53-1
第82番 安養寺/江戸川区平井6-53-1
第81番 安養寺/江戸川区平井6-53-1

第51番 燈明寺(平井聖天、灯明寺)/江戸川区平井6-17-30
第65番 燈明寺(平井聖天、灯明寺)/江戸川区平井6-17-30

第85番 東禅寺(東漸寺)/墨田区立花6-17-4(大師像は北向地蔵境内)
第85番 北向地蔵境内/墨田区立花6-10

第71番 明源寺/墨田区立花1-13-10
元第66番 六阿弥陀常光寺/江東区亀戸4-46(現在ここに大師像はない)
第66番 龍光寺/江東区亀戸3-56-14
第46番 龍光寺/江東区亀戸3-56-14

第67番 正観寺/墨田区押上3-32-4
第62番 円通寺/墨田区押上2-39-6
第49番 正覚寺/墨田区八広3-5-2(いろは大師固有の像は確認できず) ※同名の別寺あり
第69番 万福寺(萬福寺)/墨田区東墨田3-12-19 ※同名の別寺あり
第54番 観音堂/墨田区八広5-32-7
第75番 宝蔵寺/墨田区八広6-9-17
第56番 新光寺(廃寺)/東向島6-29-16(大師像は発見できず)
第84番 蓮華寺/墨田区東向島3-23-17
第72番 稲荷境内/墨田区墨田3-10-2東清寺(大師像は発見できず)
第68番 森田屋敷地内/不明(詳しくは本文にて)
第86番 正福寺/墨田区墨田2-6-20 ※同名の別寺あり
第79番 多聞寺/墨田区墨田5-31-13
第80番 理性院(理性寺)/足立区柳原2-5-1
第77番 正覚寺/葛飾区小菅1-3-6 ※同名の別寺あり
第60番 宝燈寺(正しくは宝性寺)/飾区堀切4-54-2
第61番 極楽寺/葛飾区堀切2-25-21 ※同名の別寺あり
第59番 正王寺/葛飾区堀切5-29-14
第55番 普賢寺/葛飾区東堀切3-9-3
第36番 西光寺/葛飾区宝町2-1-1 ※同名の別寺あり
第34番 慈眼院/葛飾区四つ木4-19-33
第43番 善福院/飾区四つ木3-4-29
第33番 西光寺/葛飾区四つ木1-25-8 ※同名の別寺あり
第44番 愛宕下/葛飾区四つ木2-20-8白髭神社
第38番 浄光寺(木下川薬師)/葛飾区東四つ木1-5-9
第32番 真禅寺/葛飾区東立石1-22-3
第30番 正覚寺/葛飾区東立石1-20-2 ※同名の別寺あり
第42番 地蔵堂境内/葛飾区東立石4-12ポケット公園内
第39番 原神社内/葛飾区東立石4-39-8(確認できず)
第35番 宅地添/葛飾区立石4-29-10
第40番 西円寺/葛飾区立石8-5-18(確認できず)
第37番 南蔵院/葛飾区立石8-40-25
第63番 宝泉寺/葛飾区青戸1-18-16
第41番 勝養寺/葛飾区青戸3-25-14
第31番 佐々木金次郎地内/不明(詳しくは本文にて)
第45番 法門寺(法問寺)/葛飾区青戸6-16-20
番 外 薬神境内(延命寺)/葛飾区青戸8-24-29
第47番 恵明寺/葛飾区亀有3-32-25
第73番 宝蓮寺/葛飾区新宿2-11-22
第52番 宝蓮寺/葛飾区新宿2-11-22 *1
番 外 西念寺・鯖大師/葛飾区新宿2-4-13 *2
前札第70番 浄心寺/葛飾区新宿2-22-20 
第58番 鷺之宮/葛飾区柴又2-5-39
元52番? 良観寺/葛飾区柴又3-33-13 *3
第83番 石井藤吉地内/葛飾区柴又7-7-5とらや裏
第50番 宝生院/葛飾区柴又5-9-18
第57番 医王寺/葛飾区柴又5-13
第24番 地蔵堂(三谷地蔵)/江戸川区北小岩8-23-19八幡神社
第27番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
第26番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
第25番 十念寺/江戸川区北小岩5-32-5
第05番 三十八丁堂/江戸川区西小岩4-10-20
第19番 前西(まいにし)/葛飾区鎌倉1-19-19
第14番 浄光院/葛飾区鎌倉1-31
第13番 大珠院/葛飾区鎌倉4-4-3
第17番 輪福寺/葛飾区鎌倉3-48-17
第06番 地蔵堂/葛飾区鎌倉3-46鼎地蔵
第16番 高砂地蔵堂/葛飾区高砂5-47
第10番 観蔵寺/葛飾区高砂5-5-2
第08番 極楽寺/葛飾区高砂2-11-4大光明寺 ※同名の別寺あり
第03番 阿弥陀堂/葛飾区高砂1-25-4(門扉が閉まっており敷地に入れない)
番 外 石川地内/葛飾区高砂1-13地蔵堂境内
第02番 東覚寺(東学寺)/葛飾区細田3-5
第78番 石田地内/不明(詳しくは本文をお読みください)
第20番 桜屋地内/葛飾区細田3-27-16
第11番 正蔵院/江戸川区上一色3-30-17
第18番 地蔵堂(正蔵院)/江戸川区上一色3-30-17

第21番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10
第88番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10


南葛八十八ヶ所【南回り】

典拠:下町タイムス社発行『江戸・東京札所事典』

 上記の本によれば「南回り」は明治43年12月に東京弘山講により開創されたとあります。このあたりには寛政四年ごろに開かれた「東葛西領八十八所」という霊場めぐりがあり、それをベースに再編したものではないかとのことです。名称は「新四国南葛八十八ヶ所」「南葛新四国八十八所」などと表記されるようです。

 一部の札所は前述の「いろは大師」とかぶっていますが、成立年代もお世話していた講も違う、まったく別の霊場めぐりです。「いろは大師」と呼び分けるため、当ブログでは「南葛南回り」「南回り」と呼ぶことにします。

 以下は『江戸・東京札所辞典』に掲載されたものを書き写しました。住所の一部がやや古くはなっていますが、現在の地図でも探せる程度の違いだと思います。いくつかの札所は順路的に不自然な点があるため、ここではないかと候補もあげています。近々確かめに行く予定ですが、成果は期待できない状況です。

 これまでに参拝したいくつかの札所は、

a. 大師堂がなく、札所番号と明治43年の日付が入った御詠歌の板が掲示されている。
b. 大師堂があっても造立年から「いろは大師」やその他のものだとわかる。
c. 木の板も大師堂もなない。
d. 南回り固有の大師堂がある(中に木製の小さな大師像あり)
e. 南回り固有の石碑がある(東京弘山講、明治四十三年と刻まれている)

…というような状態です。dやeだとわかりやすいんですが、bやcの場合はまったく痕跡がないわけです。弘法大師霊場めぐりは新しい時代のものだと各札所に大師堂と大師像を造立するケースが多いですが、それが必須というわけでもありません。おそらく南回りは大師堂を造らないスタイルだったんだと思います。札所番号と御詠歌を刻んだ板(扁額)だけが札所のあった証(あかし)となります。
 札所を調べ始めてしばらくは、南回りは大師堂や大師像を作らないスタイルと思っていました。実際、なんの痕跡も残っていない札所が多いんです。ところが、一部の札所には固有の大師堂と石碑があることが判明しました。

 以下のリストは番号順ですが、だいたい番号順でまわれるようになっているようです(時おり遠くへ跳ぶ場合がある)。

 太字は「いろは大師」と共通の札所です。
 ★印は「南回り」固有の扁額、または石碑、大師堂などが残っている札所です。

01番 善照寺/江戸川区東小松川3-3
02番 観音寺(廃寺?)/江戸川区、不明
03番 善通寺江戸川区平井1-25-38
04番 東覚寺/浦安市堀江193 (順路的におかしい上、浦安にあるのは東学寺)
04番候補/東覚寺/江東区亀戸4-24-1 (順路でいうとここが自然だが、未確認)
05番 法然寺/江戸川区船堀2-10-10
06番 光明寺江戸川区船堀6-8-18
07番 法竜寺/江戸川区船堀6-9-30
08番 安楽寺江戸川区北葛西1-25
09番 法蓮寺/江戸川区北葛西4-5-18
10番 竜光寺/江戸川区北葛西4-22-9
11番 正応寺/江戸川区仲葛西5-36
12番 昇覚寺/江戸川区東葛西7-23
13番 真蔵院/江戸川区東葛西4-38-9
14番 自性院/江戸川区東葛西2-30
15番 梵音寺/江戸川区、不明(東葛西2-28か?)
16番 東善寺/江戸川区松江1-4-4 ※80番も同所
17番 清光寺/江戸川区東葛西3-3-6
18番 正円寺/江戸川区東葛西3-4-22
19番 正観寺/墨田区押上3-32-4 (順路的に不自然)
20番 称専寺/江戸川区、不明(東葛西1-38-23か?)
21番 蓮華寺江戸川区江戸川6-4-11
22番 智光院/江戸川区東葛西3-14-3
23番 真福寺江戸川区江戸川4-23
24番 誠心寺/江戸川区江戸川3-50
25番 円照寺/江戸川区江戸川3-43-9
26番 金蔵寺/江戸川区江戸川3-23
27番 浄興寺/江戸川区江戸川3-22-5
28番 明福寺/江戸川区江戸川3-8
29番 安養寺/江戸川区東瑞江2-50-2 ※同名の別寺あり
30番 泉福寺/江戸川区東瑞江2-36 ※下町タイムス説では83も同所
31番 長寿院/江戸川区東瑞江2-5豊田神社内
32番 不動院/江戸川区江戸川1-22
33番 西光寺/江戸川区江戸川4-24 ※同名の別寺あり、順路的に疑問あり
 33番候補 西光寺/江戸川区南篠崎町1-1-24 ※同名の別寺あり、順路上ここの可能性

34番 無量寺/江戸川区篠崎3-70/
35番 万福寺(萬福寺)/江戸川区東小岩2-2-4 ※同名の別寺あり
36番 東養寺/江戸川区東小岩2-5-9
37番 善養寺/江戸川区東小岩2-24-2
38番 宝林寺/江戸川区北小岩3-23
39番 真光院/江戸川区北小岩4-41-6
40番 正真寺/江戸川区北小岩7-27-5
41番 十念寺/江戸川区北小岩5-27
42番 円蔵寺/江戸川区南小岩6-16
43番 光蔵寺/江戸川区松本2-31-11
44番 弁天堂/江戸川区松本2-31-11
45番 円勝院/江戸川区鹿骨1-259
46番 勝曼寺/江戸川区一之江1-9-7
47番 薬王寺江戸川区一之江2-42-2
48番 妙音寺/江戸川区一之江3-1-6
49番 地蔵堂江戸川区、不明(一之江エリアのいずこか)
50番 法養寺/江戸川区西一之江1
51番 円福寺江戸川区西一之江3-28
52番 地蔵堂江戸川区、不明(一之江エリアのいずこか)
53番 正蔵院/江戸川区上一色3-30
54番 東覚寺(東学寺)/葛飾区細田3-5-10
55番 浄光院/葛飾区鎌倉1-31-4
56番 輪福寺/葛飾区鎌倉3-46-47
57番 観蔵寺/葛飾区高砂5-5-2
58番 極楽寺/葛飾区高砂2-11-4大光明寺
59番 宗念寺/葛飾細田4-15-1
60番 宝蔵院/葛飾区奥戸8-5-19
61番 専念寺/葛飾区奥戸8-10-19
62番 妙厳寺/葛飾区奥戸3-28-10
63番 宝城院/浦安市堀江434
64番 延命寺市川市新井1-9-2
65番 花蔵院/浦安市猫実160
66番 善福寺/浦安市当代島441
67番 万福寺(萬福寺)/墨田区東墨田3-12-9 ※同名の別寺あり
68番 上品寺/葛飾区東新小岩7-8-2
69番 東光寺/葛飾区西新小岩5-21
70番 安養寺/江戸川区平井6-53-1 ※同名の別寺あり
71番 灯明寺(平井聖天、燈明寺)/江戸川区平井6-17-30
72番 正養寺/江戸川区平井2-5-18
73番 西光寺/江戸川区小松川3小松川神社内 ※同名の別寺あり
74番 光福寺/江戸川区松島1-9-24
75番 東福院/江戸川区松島3-38-18
76番 照明寺/葛飾新小岩3-38-18
77番 正福寺/葛飾区東新小岩4-8-4
78番 密蔵院/江戸川区鹿骨4-78-1
79番 光照寺江戸川区本一色3-16
80番 東善寺/江戸川区松江1-4-4 ※16番も同所
81番 西蓮寺/江戸川区小松川2-9
82番 仲台院/江戸川区小松川1-1
83番 泉福寺/江戸川区東瑞江2-36 ※下町タイムス説ではここだが東小松川二丁目の泉福寺の可能性が高い。
84番 源法寺/江戸川区小松川2-16
85番 寿光院/江戸川区小松川2-15-12
86番 正徳寺/江戸川区小松川3-10
87番 永福寺/江戸川区東小松川2-1-15
88番 宝積院/江戸川区東小松川2-1-16



何に属しているかわからない札所番号

*1:「歌」は52を柴又の良観寺としている。

*2:「順路」にはない

*3:「順路」にはない。「歌」では52番とするが、現在52は宝蓮寺にある。旧所在地だろうか。

江戸川三丁目・金蔵寺

【札所番号】
南回り:第二十六番

【札所名】金蔵寺(浄土宗)
#読みは:こんぞうじ

【所在地】

現在の地名 江戸川区江戸川三丁目23

【御詠歌(南回り26)】

【南回り次の札所】
二十七番、江戸川三丁目・浄興寺

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
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金蔵寺・本堂脇の門(本堂正面にも門があるが、車が入りにくい細い道に面している)
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金蔵寺本堂
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金蔵寺・石仏群

 江戸川三丁目の金蔵寺(こんぞうじ)は南葛八十八ヶ所南回りの第二十六番です。残念ながら大師堂や石碑など、札所の目印になるのは残っていないようです。

 昭和51年版の『江戸川区史』によれば本堂は昭和11年7月に建て替えられたとありますが、現在の本堂はもっと新しく見えるので、さらに建て直されているようですね。

江戸川三丁目・浄興寺

【札所番号】
南回り:第二十七番

【札所名】浄興寺(浄土宗)

【所在地】

現在の地名 江戸川区江戸川三丁目22-5

【御詠歌(南回り27)】

【南回り次の札所】
二十八番、江戸川三丁目・明福寺

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細い道の奥にある浄興寺の山門
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浄興寺の解説板(江戸川区による)
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浄興寺本堂

 江戸川三丁目・浄興寺は南葛八十八ヶ所南回りの第二十七番です。残念ながら大師堂や石碑など、札所であることがわかるようなものは見当たりませんでした。


 『江戸川区史』によると、本堂前に新川梨の碑というものがあり、区の文化財に指定されているそうです。新川梨は文政年間に大塚宗蔵と言う人が栽培に成功した梨で、明治になっても栽培されていたそうなのですが、大正の頃に廃れて今は失われた品種だそうです。残念ながら記念碑は写真にとりそびれてしまいました。

江戸川三丁目・明福寺

【札所番号】
南回り:第二十八番

【札所名】明福寺(浄土宗)

【所在地】

現在の地名 江戸川区江戸川3-8-1

【御詠歌(南回り28)】
つゆしもと つみをてらせる だいにちじ などかあゆみを はこばざらまし

【南回り次の札所】
二十九番、東瑞江・安養寺

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明福寺の本堂

 南葛八十八ヶ所南回りの第二十八番は、江戸川区江戸川三丁目の3丁目の明福寺です。境内に南回り固有の大師堂、扁額、石碑がありました。

 大師堂は 東瑞江・泉福寺にあるのと似た感じの大師堂で、中にはお大師様の石像が一体納められていました。この石の大師像が南回り固有のものかどうかは、ちょっとわかりません。南回りの大師堂は、あまり数がないのと、格子の隙間から中を拝見しても何も見えない事が多いので傾向がよくわからないのです。

 南葛南回りは、東葛西領八十八所という江戸時代の霊場巡りをベースに、再編成したものではないかと言われています。そのため、もしかすると昔からあった大師像をそのまま南回りのお堂に納めているケースもあるかもしれません。

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ふたつ並んだお堂の、向かって左側のものが大師堂です
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南葛八十八ヶ所南回り・第二十八番の大師堂
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お堂の中の大師像(石像)
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大師堂の庇の下に掲げられた扁額

 扁額は、これまで発見された南回りのものと同じフォーマットで以下のように二十八番札所の御詠歌が書かれています。

新四国南葛八十八ヶ所
第二十八番御本尊大日如来
つゆしもと
 つみをてらせる
  だいにちじ
などかあゆみを
  はこばざらまし
 東京弘山講
明治四十五年
五月 納
施主
 秋元…
 廣田…
 田中…

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南回りの石碑、正面(ほとんど欠けおり文字が読めない)
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南回りの石碑、向かって右側面。わずかに「明治四拾三年十二月」の文字が見える。

 石碑は状態があまり芳しくありませんが、向かって右側面に「明治四拾三年十二月」の文字が見えます。これは長寿院東瑞江・安養寺にあるのと同じですから、東京弘山講で建てた南回りの石碑で間違いないと思います。

 南回りの札所には何もないことが多いです。こちらのように、大師堂、扁額、石碑と、フルコース(!)であるのは珍しく、とてもテンションが上がりました。


 ところで、こちらのお寺は鎌倉時代に作られたとされ、宗派は浄土宗なのですが、親鸞上人による雨乞いの伝説があるそうです。

 上人が常陸の笠間から京の都へ行く途中でこの地を通りがかると、ひとりの老翁が現れ、日照り続きで人々が苦しんでいる事を告げました。そこで上人は祈祷により雨を降らせて人々を救いました。

 その夜、上人が木陰で休んでいると、先の老翁が毘沙門天の姿にかわる夢を見ました。そこであたりを探してみると林の中に毘沙門堂があったので、その傍らに庵をたてて、ちょうど所持していた聖徳太子の自作とされる尊像を納めて太子堂としたのが、明福寺のはじまりということです。この伝説は『江戸名所図会』にも記録されています。(『江戸川区史』より)

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明福寺・大師堂
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大師堂の解説板

 以前は大師堂のうしろに鏡ヶ池と袈裟かけ松があり、どちらも親鸞上人の遺跡とされていたそうですが(『江戸川区史』)、池はもう埋め立てられて残っていないようです。松は確認しそびれました。

 鏡ヶ池は、上人が自画像を彫るため鏡代わりにしたと伝えられているそうです(ウィキペディア)。

 なお、南葛八十八ヶ所は弘法大師霊場です。弘法大師真言宗の開祖ですが、他の宗派のお寺が札所とされる事もあります。

東瑞江・安養寺

【札所番号】
南回り:第二十九番

【札所名】安養寺(浄土宗)

【所在地】

現在の地名 江戸川区 江戸川区東瑞江2-50-2

【御詠歌(南回り29)】

【南回り次の札所】
三十番、東瑞江・泉福寺

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東瑞江・安養寺門前より

 また前回の更新から間があいてしまいました。そして、もたもたしているうちに東京は三度目の緊急事態宣言に入ってしまいました、あらえっさっさー。でも宣言前にいくつかまわったお寺があるので少しずつ更新していきます。

 さて、今回は南回り二十九番札所の安養寺です。今回も発見がありました。三十一番の長寿院にあるのと同じような石碑があったのです。

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南葛八十八ヶ所南回り・第二十九番の石碑(写真向かって右)
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同じ石碑の向かって右側面を写したもの

 安養寺には大師堂はなかったのですが、本堂前から墓地への入り口に庚申塔とならんで石碑がありました。

(正面)
南葛新四国八拾八ヶ所之内
弘法大師
札所第貳拾九番 安養寺

(向かって右側面)
明治四拾参年拾貳月建

 「拾」は漢数字の「十」と同じで、「貳」は漢数字の「二」と同じです。「明治43年12月建」は長寿院にあるのと同じ日付ですが、あちらでは「明治四十三年十二月建」と普通の漢数字で刻まれていました。

 このブログを書いている時点では、東瑞江から一之江にかけての札所を参拝済みで、大師堂や石碑をいくつか発見しています。ひょっとすると南回りを開創した東京弘山講の講元さんがこのあたりの人だったんじゃないかと想像しています(あくまで想像です)。

 南回りについては資料があまりなくて、詳しいことはまったくわかりません。当ブログでは『江戸・東京札所事典』という本を手がかりにして札所をまわっていますが、この本に書いてあることさえ時おり理屈にあわないことがあります。

 東京弘山講が活動していたのは明治末期のことなので、当時の人はおそらく亡くなられていると思うのですが、お爺ちゃん、お婆ちゃんが講に参加していましたよ、というような関係者の方、またお寺のお坊さんなどで昔の事をご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひコメント欄にて情報をご提供くださればと思います。コメント欄はこのページを下のほうへずーっとスクロールすると「コメントを書く」というボタンがあると思います。

東瑞江・泉福寺

【札所番号】
南回り:第三十番
#下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』では第八十三番もここだとされていますが、同名の別のお寺である可能性が高いです(詳しくは本文にて)

【札所名】泉福寺(浄土宗)

【所在地】

現在の地名 江戸川区東瑞江2-36

【御詠歌(南回り30)】
ひとおほく たちあつまれる いちのみや むかしもいまも さかへぬるかな

【南回り次の札所】
三十一番、東瑞江・長寿院

「南回り」という呼称については目次のページをご覧ください。


 緊急事態宣言は解除されましたが、感染者がめざましく減ってるわけでもなく、東京や大阪ではマンボーというものが適用されるそうですね。でも呼びかけられているのは飲食店の時短営業と他県への移動の自粛くらいで、結局なんの変化もないということでファイナルアンサー? 活動再開などといいつつ、やはり不要不急の寺参りは自粛すべきなのかな。お大師様タスケテー。

 今回は南葛八十八ヶ所南回りの三十番です。毎度おなじみ下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』によると、三十番は江戸川区東瑞江の泉福寺ということになっていて、さらに八十三番も同じ寺ということになっています。

 しかし、南葛南回りは順路が番号順になっていて、八十番台は江戸川区小松川あたりにあるはずなんです。東瑞江と東小松川では(地名は似てますけど)まるっきり場所は別です。

 それでちょっと調べてみると、あらあら、東小松川にも泉福寺があるんですね。そっちはまだお参りしていないので断言はできませんが、たぶん八十三番は東小松川・泉福寺じゃないのかなあ。

 『江戸・東京札所事典』は、都内に順路がある霊場めぐりをかなり網羅していており、著者の札所愛が詰まった本ですが、どうも校正が甘いみたいで、ここ以外にも「いや、順路的に××町の同名の寺でないとおかしい」みたいなケースが散見されます。たとえば三十三番の西光寺とか…

 とにかく、南葛南回りの第三十番は「東瑞江・泉福寺」です。これは断言できます。というのも、あったんですよ、大師堂! 東京弘山講の名前も書かれていて、はっきり南回りの札所とわかるようになっていました。

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東瑞江・泉福寺門前より
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南葛八十八ヶ所南回り三十番の大師堂(左のお堂)
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大師堂には「講元・東京弘山講」の文字が!
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大師堂の軒下に掲げられた御詠歌の扁額

 南葛南回りは、多くの札所になんの痕跡もなく、あっても御詠歌の扁額くらいだったのですが、すぐ近くの東瑞江・長寿院に石碑があることがわかり、そしてここ泉福寺には大師堂がありました。

 お堂に向かって左の柱には「講元 東京弘山講 お唱えする言葉 南無阿弥陀仏 南無大師遍照金剛」とあります。東京弘山講は南回りを開創した講(こう)の名前です。

 向かって右の柱には「新四国南葛八十八箇所第三十番御本尊阿弥陀如来」とあります。

 お堂の前には立て札もありますが、これは文字が薄れていて読めませんでした。

 また、お堂のひさしの下には、これまでいくつかの札所でみつけたのと同じ形式の扁額がかかげられていました。

新四国南葛八十八ヶ所
第三十番御本尊阿弥陀如来
ひとおほく
  たちあつまれる
    いちのみや
むかしもいまも
  さかへぬるかな

 東京弘山講
明治四十五年
五月 納

施主
 鹿倉庫松
 太田津名?

 お堂の中には小さな厨子があり、中に木製の小さなお大師様と御本尊の阿弥陀如来が納められているのが見えました。

 最初のほうで書いたように、下町タイムス説では八十三番もここなんですけど、現地には三十番としか書かれていないようですね。やはり八十三番は順路から考えても「東小松川」の泉福寺じゃないのかなあ。いずれそちらにもお参りしてみる予定です。

 というわけで、南回り第三十番でした。これまで何度か「南葛南回りは大師堂などを作らないスタイルだったようです」と書いたと思うのですが、どうやらそれは間違いで、大師堂が建立されたケースもあるとわかりました。ただし、全ての札所にあったかどうかはわかりません。多くの札所には、なんの痕跡も残されていないのです。

 最後になりましたが、時々書いておかないと不安なのでまた書いておきますね。「南葛八十八ヶ所」は二系統あります。名前は同じですが、作られた時代や、作った人たちが違い、札所も順路もまったく違う完全に別のものです。

 ひとつは明治末期に東京弘山講が開創したもので、順路が主に江戸川区を通っています。これを当ブログでは南葛南回りと呼んでいます。

 もうひとつは大正時代に東京大心講が開創したもので、当ブログでは南葛いろは大師と呼んでいます。

 詳しくは目次のページなどもご覧ください。

 ブログ筆者は葛飾区在住のお散歩好きで、どちらの講とも御縁がありません。もし関係者の方で「それは間違っている」「その件ならこう聞いている」「お婆ちゃん、お爺ちゃんに連れられて巡行大師に行った事がある」というようなご意見、思い出話などございましたら、ご遠慮なくコメントを残してくだされば幸いです。コメントはログインなどしなくてもどなたでも残せるようにしてあります。

南回り33番の謎、ふたつの西光寺

【札所番号】
南回り:第三十三番番

【札所名】西光寺

【所在地】
|下町タイムス説|西光寺(浄土宗) 江戸川区江戸川4-24|
|当ブログの仮説|西光寺(真言宗江戸川区南篠崎1-24|

【御詠歌(南回り)】

【南回り次の札所】
三十四番、篠崎町・無量寺

「南回り」という呼称については目次のページをご覧ください。


 首都圏は緊急事態宣言ということで(何かのついでに近くを回るのは別として)積極的な参拝をしばらく自粛していたのですが、解除もされましたし(もともと密にならない屋外の寺院探訪ですし)ぼちぼち再開したいと思います。

 さて、南葛八十八ヶ所南回りの第33番ですが、下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』によれば江戸川区江戸川四丁目の西光寺ということなのですが、下の地図を見てください。

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順路上にある二つの西光寺

 赤いバルーンでしめしたのが西光寺なのですが、同じ名前のお寺が順路上に二ヶ所あります。

 南葛南回りはほぼ番号順にまわれるようになっています。しかし、下町タイムス説の江戸川四丁目だと、21番と23番の間にあり、番号順にならないのですよね(ちなみに22番は南にフレームアウトしたところにあります)。『江戸川区史』には寺の北側を阿弥陀耕地と呼んだなどの記述があり、移転した形跡はありません。ちなみにこのお寺の宗派は浄土宗です。

 順路が番号順であるなら、33番の西光寺は32と24の間くらいにあるはずです。そう思い、地図上で探してみたところ、南篠崎にもうひとつ西光寺があることがわかりました。こちらは真言宗豊山派のお寺です。こちらも移転したというような情報がないので、昔からここにあったと思われます。宗派の点でも、こっちじゃないのかなあ?

 しかし、残念なことに確認はできませんでした。これまでにも繰り返し書いていますが、南葛南回りは明治末期の開創で、おそらくあまり長くは活動しなかったんだと思います。そのため札所だった頃の痕跡が残っていないことが多く、どちらのお寺にも見える場所にそれらしいものは残っていませんでした(もし事情をご存知の関係者の方がごらんになりましたら、コメントを残していただけると幸いです)。

 せっかくですから、両方のお寺の写真を貼りますね。

江戸川区江戸川四丁目の西光寺

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江戸川四丁目・西光寺門前より
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門前の地蔵尊。激しくすり減っている。

江戸川区史』より
・天文元年(1532年)の開山。
・当時この地が海岸の茅地であった頃に漂着していた仏像を掘り起こして祭ったのがはじまり。
・寺の北側を阿弥陀耕地と呼んだ。
・本尊は木造阿弥陀如来座像。
・門前の道端に地蔵尊の石仏があり、かつては船人が塩を投げて必ず礼拝した(上の写真)。

南篠崎の西光寺

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南篠崎・西光寺門前より
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南篠崎・西光寺本堂(向かって右脇に地蔵独尊碑がある)
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地蔵独尊碑。ガラスの鞘堂があるためうまく写真には写らないのですが、大変見事なものでした。 

江戸川区史』より
・永正二年(1505年)の草創。
・本尊は木造阿弥陀如来立像。
・鐘楼横に天明年間建立の地蔵独尊碑がある。美しい線の陽刻で珍しい類の碑である(現在は本堂わきにある。

東瑞江・長寿院(豊田神社内)

【札所番号】
南回り:第三十一番

【札所名】長寿院(不明、廃寺)

【所在地】

旧番地等 江戸川区東瑞江2-5-3
現在の地名 江戸川区東瑞江1-18豊田神社内

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。江戸川区内は川や道路の工事で大々的に丁目や番地のふりかたが変わるなどしており、昔の資料にあたる時に必要になるかもしれないので書いてみることにしました。

【御詠歌(南回り31)】

【南回り次の札所】
三十二番、江戸川区江戸川・不動院

 今日は立春です。東京は新しい感染者数がやや減り始めましたが、緊急事態宣言の解除には至りませんでした。去年とちがい図書館が閉鎖されたりはしていないので、先週は本を返しに行くついでに少し足を伸ばしていくつか札所をまわりました。

 そこですごい発見をしてしまい、自分としてはかなりテンションが上がっています。これまで、南葛南回りには固有の大師堂、大師像はなく、残っているとしたら御詠歌を刻んだ木製の扁額だけ、と書いてきましたが、どうもそうでもないようなんです!

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東瑞江・長寿院(豊田神社内)

 東瑞江の長寿院は南葛八十八ヶ所南回りの三十一番とされています。「南回り」という呼称については目次のページをご覧ください。 

 このお寺は明治初年に廃寺となり、長寿院が管理していた豊田神社の社殿を跡地に作り、現在に至っていると昭和51年版の『江戸川区史』にあります。南葛南回りは明治43年の開創ですから、当時すでにお寺ではなくなっていたのでしょうが、おそらく村の法事などに使う念仏堂として残っていたんじゃないかと思います。今も集会場のような建物があり、入り口に石仏や石碑が保存されています。

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長寿院の地蔵尊
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長寿院の石碑群。文字はほとんど読めないが、真ん中の碑に馬頭観音の文字が見える。
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新しく建てられたと思われる下鎌田不動院の碑。下鎌田はこのあたりの旧村名。
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弘法大師と刻まれた石碑。よく見ると南葛新四国の文字が!

 長寿院の石碑群の中に「弘法大師」と刻まれたものがあります。破損が激しいのですが、よく見ると右側に「南葛新四国」の文字が見えます。また脇面には「明治四十三年十二月建」、台座には「弘山講」とはっきり刻まれており、これは間違いなく南葛南回り固有のものです!!(弘山講は南葛南回りを開創した講の名前)

 これまで「残っているとすれば御詠歌の扁額だけ。それも失われているお寺が多い」と書いてきました。書きながら「お参りに行っても札所の痕跡はないんだよなあ」と思ってちょっとテンションが下がっていたのですが、これを見てがぜんやる気がでました(笑)

 ただ、この石碑は八十八ヶ所すべてのお寺にあったかどうか、そこは疑問だと思います。扁額と違い、これだけ大きな石碑ならそう簡単には処分されないと思うんですよね。でも、これまでまわったお寺にはこういう石碑はなさそうでしたから、あるところにはあるという感じなのかな、と想像しています。

 南回りの札所探訪もだんだん楽しくなってまいりました。暦の上ではもう春です。新型コロナ、いつになったら収束するのかなあ。緊急事態が解除されたとしても、油断しているとまたぶり返しそうですよね。

弘法大師 空海 密教