二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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善福院

いろは大師:第四十三番(東宇和島郡田之筋村大字明石・明石寺の写)

荒綾:第二十五番
荒川辺:第六十七番

【札所名】善福院(真言宗智山派

【所在地】

旧地名 葛飾区若宮
現在の地名 飾区四つ木3-4-29

【御詠歌(いろは大師43)】
きくならく せんじゆのちかひ ふしぎには だいばんじやくも かろくあげいし

【いろは大師、次への順路】
三十三番西光寺へ五丁半
 

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善福院の大師堂
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南葛いろは大師第四十三番大師像
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四十三番の台座がおさい銭箱の下に!

 善福院は南葛いろは大師の四十三番で、荒綾の二十五番、荒川辺の六十七番でもあります。境内に立派な大師堂があり、中に納められている石の像はたぶん南葛いろは大師のものだと思います。その像は数字の台座に載せられていないのですが、おさい銭箱の下に第四十三番の台座がありました…

 もう目立った活動をしていない霊場巡りの像の、台座ですから、見えないところに片づけられたり捨てられてしまったりしていないだけありがたい事だと思わねばならないんだと思うのですけど…でも、当時の奉納者の方のお名前も刻まれていると思うから…うーん…

 わたしゃただの部外者なので、大きな口をたたくような筋合いはなくて、ただ、ちょっとなんとなく、悲しかった、です。


 わたしは、お堂を開けられないところは格子の隙間から、開けられる所なら、そっと(丁寧に、大事に)開けて、中を撮影させてもらたったりしていますが、尊像を撮影するとか、部外者がお堂を開けるとかには、賛否両論あるだろうなって思いながらしています。でも、今はとにかく、やれるところまでやろうって思いました。いつ失われてもおかしくない古いものだから、記録に残せる時に残しておく必要があるのだなあと…

 話はサクッと変わるんですが、このお寺は荒綾と荒川辺の札所でもあるそうです。門前に杭状の石碑があり、それがどちらかの札所の案内になっているようです。

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門前の石碑

 ちょうど逆光で文字が読めるような写真が写らなかったのですが、もうちょっと読めそうな感じに写ったものを、少し画像処理してみました。

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門前の石碑、少し画像処理したもの

 一番上に右から左へ「荒…」その下に縦に「八十八」ずっと下のほうに「西光」と見えるので、これは次の札所への案内だと思います。荒川辺には四つ木西光寺は入っていないから、たぶん荒綾八十八ヶ所の道案内だったんだと思います。

 わたしは荒綾には今のところあまり注目していなくて、二系統の南葛八十八ヶ所をまわりながら、目についたところでは道案内になっている石碑(標石)などを撮影しています。荒綾は明治四十年代に作られた霊場巡りで、その後何度か整備しなおされ、巡路上に標石が作られたりしたようです(ソースは下町タイムス社『江戸・東京札所事典』)。どうやら大師像の造立などはしないスタイルだったみたいです。標石はおそらく路辺にもあったと思うから、道路の工事でどかされたりして、札所になっていないお寺にも納められているかもしれません。

弘法大師 空海 密教