二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

札所一覧(目次)へ

南回り第二番は詳細不明の観音寺

 『江戸・東京札所事典』によれば、南葛「南回り」の第二番は江戸川区小松川近辺の観音寺ということになっています。しかし、現在そういう名前のお寺はありません。


【札所番号】
南回り:第二番

【札所名】観音寺(宗派不明)
# 廃寺になったいずれかの寺である可能性が高く、観音寺という名前もひょっとすると正確ではない可能性あり。

【所在地】

現在の地名 江戸川区、東小松川近辺

# 現在このあたりには観音寺というお寺はありません。

【御詠歌(南回り02)】

【南回り次の札所】
第三番、平井・善通寺

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。



f:id:chinjuh3:20210817212928j:plain
『江戸・東京札所事典』より

 下町タイムス社の『江戸・東京名所事典』によれば、南葛八十八ヶ所「南回り」の第二番は観音寺ということになっていますが、所在地は不明とされています。

 南回りは江戸川区小松川にある一番から番号順に回り、時おり遠くへ飛ぶこともありますが、だいたい番号順に回って八十八番で東小松川に戻ってくるように出てきています。

 3番は川の向こう岸である平井ですから、二番は東小松川と平井の中間くらいにあったと思われます。

f:id:chinjuh3:20210808174310p:plain
南回り1番と3番の位置関係(別の記事にも貼ったものなので余計な情報もありますが)

 真ん中に流れている川は荒川なのですが、実は南回りが開創された当時、この川はありませんでした。おそらく二番の「観音寺」は川の工事にかかって廃寺になったんじゃないかと思います。

 そこで文政四年(1821年)に作られた『葛西志』というこのあたりの地誌をあたってみました。南回りが開創されたのは明治43年(1910年)なので、100年くらい隔たりがありますが、現在あるお寺の多くは幕末にすでにありましたから、参考になるはずです。

 その『葛西志』に見える寺院で、東小松川からもっとも近い観音寺は、中平井村の観音寺でした。

 しかし、中平井だと、たとえば七十番台とかならありうると思うのですが、二番だと順路から離れているのですよねえ。

f:id:chinjuh3:20210817215722p:plain
中平井はこのへん(今昔マップより)
f:id:chinjuh3:20210817223502p:plain
中平井村と札所番号の位置関係(現在の地図)

 七十一番の燈明寺は下平井村なので、中平井村はそれより北になります。第一番から中平井村に飛ぶのは、絶対ないとはいいきれないですが、やはりちょっと不自然な気がします。

 もうひとつの候補として、『葛西志』には東小松川村の善照寺に観音堂があったと書いてあります。善照寺は南回り第一番のお寺です。現在は観音堂はないと思うのですが、もしかしたら川の工事にかかってお堂は廃止されたのかもしれないですよね。

 観音堂が本堂のすぐ近くにあったら、あえて観音寺とは言われないでしょうが、たとえば寺からすこし離れた墓地かなんかにお堂があったら、通称で観音寺と呼ばれても不思議ないかな、などと思います。

  • 中平井村観音寺説
  • 善照寺持ちの観音堂

 これらはあくまで仮説であって、確証はまったくありません。南回りの二番は完全に謎に包まれています!

弘法大師 空海 密教