南回り八十三番かもしれない東小松川・泉福寺
『江戸・東京札所事典』では東瑞江の泉福寺を南葛「南回り」八十三番としていますが、順路的に自然な位置にあるのは東小松川の泉福寺です。しかし確証はありません。
【札所番号】
南回り:第八十三番(かも知れない)
# 『江戸・東京札所事典』では東瑞江の同名の寺を83番としているが、順路として自然なのは当寺である。
【札所名】泉福寺(真言宗豊山派)
【所在地】
旧番地等 | 江戸川区東小松川2-4307 | |
現在の地名 | 江戸川区東小松川2-7-17 |
# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。
# 現在の地名はgoogleマップでは2-7-17 MapFunでは2-36 となっています。
【御詠歌(南回り83)】
【南回り次の札所】
第八十四番、東小松川・源法寺
当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。
当ブログでは下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』という本を参考に、南葛八十八ヶ所「南回り」の札所を回っています(南回りという呼称は同名の霊場巡りと呼び分けるために便宜的につけたものです)。
ところが、その本では、八十二番は東小松川、八十四番も東小松川なのに、八十三番だけ直線距離で3kmくらい離れた東瑞江にぴょんと飛ぶという、おかしなことになっています。
さすがにこれは違うだろうと、東瑞江エリアを探すと、ちゃんと泉福寺があるわけです。おそらくお寺の名前が同じだったので取り違えたものだと思います。
ただ、東小松川・泉福寺が本当に南回りの八十三番なのか、これにも確証はないんです。こちらにはそれらしい大師堂はあるのですが、八十三という番号もなければ、霊場を開いた東京弘山講の文字もありませんでした。
軒下に御詠歌の扁額がかけられていたのですが、それには東京信睦講という、別の講の名前が入っていました。御詠歌も四国霊場のものではなくて、奈良の女人高野・室生寺のものでした。
奈良 女高野
室生山 御詠歌
わがみをば
たかのゝやまに
とゞむとも
こゝろは
むろに
ありあけのつき
東京信睦講
八十八ヶ所や二十一ヶ所のような霊場巡りになっていなくても、弘法大師ゆかりの寺院を参拝した記念に扁額や大師像を納める場合がありますから、これもそういったものかと思います。
ただ東小松川には「松江村廿一箇所」というさらに別の霊場巡りがあったようなので、その関係でないとは言い切れないです。第十番の扁額はすぐ近くの宝積院にありました。信睦講の額には札所番号も霊場巡りの名前もないですから、たぶん無関係だとは思うのですが、ここらへんはもっと他の例と比べないとわからないですね。
というわけで、南回り固有のものは見つかりませんでしたが、順路的に自然なことから、南回りの八十三番は東小松川・泉福寺だと思います。『事典』の著者がどんな資料を見て札所リストをまとめたのかがすごく気になります。可能なら連絡をとりたいとさえ思うのですが、出版元の下町タイムスもだいぶ前に活動を停止してるようなんですよね。
東京弘山講の関係者の方、あるいはお寺の関係者の方で、何か情報をお持ちの方がごらんになりましたら、ぜひコメントを残していただければと思います。