二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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江戸川区松本・寿昌院弁天堂

江戸川区松本の寿昌院(松本弁天)は、南葛「南回り」第四十四番札所とされています。


【札所番号】
南回り:第四十四番

【札所名】寿昌院弁天堂(黄檗宗

【所在地】

旧地名1 江戸川区松本2 寿昌院
旧地名1 江戸川区松本町317
現在の地名 江戸川区松本1-9-14

# 旧地名1は『江戸・東京札所事典』による。
# 旧地名2は昭和51年版の『江戸川区史』による。

【御詠歌(南回り44)】

【南回り次の札所】
第四十五番、鹿骨・円勝院

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。



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江戸川区松本・寿昌院弁天堂

 江戸川区松本の寿昌院(松本弁天)は、南葛八十八ヶ所「南回り」第四十四番札所とされています。

 まず所在地の件を書いておきます。当ブログでは下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』(以下『事典』)を典拠にしていまして、目次のページに書いた所在地はこの本から引用したものです。

 とはいえ、わたしにもうっかりミスがありますので、ながらくこの弁天堂を「光蔵寺/江戸川区松本2-31-11」と同じ場所にあるかのように書いてしまっていました。これは、わたしのミスです。

 四十四番として『事典』に記載されているのは「弁天堂/江戸川区松本二丁目 寿昌院」です。ちなみに『事典』は平成の始めに発行されたものなので、情報は昭和末期のものであるはずです。

 ところが、寿昌院が松本二丁目にあったという形跡がないんです。昭和51年版の『江戸川区史』によると、寿昌院弁天堂は 松本町317番地 ということになっていまして、その後昭和61年に町名表記が変わりました。

 江戸川区役所のサイトで旧番地との対照表を見ると、松本町317 は 松本1-9-14 になっていて、松本二丁目ではないんですよね。こういった点からも『事典』の情報は少しあやしい点があると思っています。

 とはいえ、南回り四十四番に関しては、はっきり寿昌院だと書いてあるので、『事典』の著者は松本弁天のつもりで書いたはずです。

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『江戸・東京札所事典』より、南回りの札所リストの一部
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江戸川区、昭和61年施行の住居表示旧新対応表より一部を引用

住居表示旧新・新旧対照表(昭和40年9月1日実施分から2020年(令和2年)11月2日実施分まで) 江戸川区ホームページ
↑このページにある、↓このPDFファイルから引用しました。
https://www.city.edogawa.tokyo.jp/documents/6856/s610501kyuusin.pdf


 さて、松本弁天ですが、残念ながら南回り固有のご詠歌の扁額や石碑などは見つかりませんでした。

 以下は写してきた写真です。

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寿昌院門前。中央に写っているコンクリの小堂は地蔵堂でした。
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小堂内の地蔵尊。足下が溶けてしまっている(塩を供えた時代のなごりか)
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弁天堂内部。弁天堂そのものはこのページ最初に貼った鉄筋の建物です。
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寿昌院本堂
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弁天堂から写した臥龍の松
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臥龍の松の根元
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弁天堂にあった寿昌院の由来などを説明する刷り物
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『新編武蔵国風土記稿』の挿し絵。三本の大きな松の木が現在の臥竜臥龍)の松とのこと。

 『新編武蔵国風土記稿』というのは江戸時代の本です。挿し絵では三本の大きな松が突っ立ってるみたいに描かれてるんですが「地上一尺ばかりより別に一枝を生じて笠の形に蟠延(はんえん)せる」と書いてあるそうなので、背景に黒く書いてある背の低い茂みが現在の臥竜の松だと思われます。高くそびえていた部分は大正時代に大風で折れてしまったとのこと。

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門前に掲示ざれている解説板
弘法大師 空海 密教