二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

札所一覧(目次)へ

浄心寺(前札70番)

【札所番号】
いろは大師:前札第七十番(三豊郡本山村・本山寺の写)
# 七十番は他に「福島地内(新小岩三丁目)」がある。どちらにも七十番の大師像がある。

【札所名】浄心寺(浄土宗)

【所在地】

旧地名 葛飾区新宿浄心寺
現在の地名 葛飾区新宿2-22-20

# 新宿の読みは「にいじゅく」です。

【御詠歌(いろは大師)】
もとやまに たれかうへける はななれや はるこそたをれ たむけにぞなる

【いろは大師、次への順路】
五十八番鷺之宮へ十三丁
  
 弘法大師真言宗の開祖なので札所はすべて真言宗のお寺かというと、時おり天台宗や浄土宗のお寺があったりもします。浄心寺も浄土宗のお寺です。

 『御詠歌集』を見ると「歌」では七十番を「新小岩三丁目 福島地内」としており、浄心寺は「前札七十番」として掲載されています。しかし「順路」には浄心寺だけ掲載されています。

 浄心寺に七十番があることは知っていたので、福島さんちは廃止されたのかなと思っていたのですが、調べてみるとそちらも残っていました。

 前札というのは本場である四国霊場にもあって、Aという寺に札所があったが、明治の神仏分離政策でAが廃寺となり、札所がB寺に移ったものの、A寺が復興したため札所が戻り、Bは前札として残った、というような時に使う言葉だそうです。

 いろは大師は大正14年の開創ですから神仏分離政策は関係ないのですが、何かの事情で札所の移動があり、二つの七十番ができてしまったということでしょうね。

f:id:chinjuh3:20201026095035j:plain
浄心寺の大師堂(右側の木造の建物)
f:id:chinjuh3:20201026095052j:plain
南葛いろは大師第七十番大師像

 南葛いろは大師の大師像は、各札所で個別にデザインしたらしく、同町内の別の札所のものと比べても全然違う像があったりします。浄心寺のお大師様は衣のひだがほとんど線彫りだったり、お顔も湯のみ茶わんに目鼻、数時の3みたいな耳があり、彫刻としてはやや稚拙にも見えるのですが、しばらく見ていると、その素人臭さが逆に味わい深くも見えてきます。

 余談ですが、このお寺には2・26事件で機関銃の乱射を受けて殉職した清水巡査部長のお墓があります。岡田啓介首相はこの事件の責任をとって総辞職したのですが、そのあとでこの地に巡査部長の墓碑を建立したとのことです。このお墓は葛飾区の文化財に指定されていて、墓地の入り口に解説板もあるのですが、お墓の写真は撮りそびれてしまいました。

f:id:chinjuh3:20201026095235j:plain
清水巡査部長の墓(解説板)

 

弘法大師 空海 密教