二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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西一之江・円福寺

西一之江・円福寺は南葛「南回り」の第五十一番札所です。境内に第五十一番弘法大師と刻まれた石碑があります。五十二番札所の地蔵堂についてもここで考察します。


【札所番号】
南回り:第五十一番

【札所名】円福寺真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区西一之江1-1049
現在の地名 江戸川区西一之江3-28-13

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。

【御詠歌(南回り51)】

【南回り次の札所】
第五十二番、地蔵堂(所在不明)

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。



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円福寺、門前より
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円福寺本堂
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南葛「南回り」第五十一番の石碑

 西一之江・円福寺は、南葛八十八ヶ所「南回り」の第五十一番札所です。本堂に向かって右手の植え込みのかげに番号の入った石碑がありました。

四国八十八ヶ所第五十一番
弘法大師

 新四国というのは、四国霊場の写しとして新しく作りましたという意味で、全国にある無数の八十八ヶ所霊場はみんな「新四国」です。

 表面には南葛とも東京弘山講とも書かれていませんが、五十一番という番号が一致する事や、東小松川・寿光院にある石碑と似ているので南回りの石碑だと思われます。

 裏側も手でふれて見ると何かきざまれているようです。きっと造立年など手がかりが刻まれているはずですが、動かしてみるわけにもいかないので確認はできませんでした。ちょっと残念です。


 ところで、円福寺の門前には、向かって左に昭和期の六地蔵があり、向かって右に元禄七年造立の古い地蔵尊があります。

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昭和48年3月建立の六地蔵・みちびき地蔵。門前向かって左にある。
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円福寺門前向かって右の地蔵尊三体

 向かって右の地蔵尊三体のうち、真ん中の大きなお地蔵様はたいへ古いもので、「元禄七甲戌天六月」と刻まれていますから 1694年のものです。

 昭和51年版の『江戸川区史』を見ると、昭和期のみちびき地蔵については記載があるのですが、この古く立派な地蔵尊については記載がなく、かわりに「西一之江2-441の地蔵堂敷地は同寺の所有で、大杉会館が建ち地蔵尊が祀られている」と書かれています。

 この大杉会館は、ここより少し北、現在の地名だと大杉2-2-2、仲井堀通り沿いにあります。この日はうっかり見に行きそびれてしまったのですが、ストリートビューで見るかぎり、現在はここに地蔵堂はなさそうです。
goo.gl

 お寺の方に確認したわけではないのですが、おそらく門前にある元禄年間の地蔵尊こそ大杉会館にあったものではないかと思われます。


 円福寺は南回り五十一番ですが、次の札所五十二番は、『江戸・東京札所事典』によれば所在はわからないもののこのあたりの地蔵堂だったとされています。五十三番との位置関係から考えても、かつて大杉会館にあったとされる地蔵堂がそれだった可能性は高いと思います。

 残念ながら、今のところ憶測でしかないのですが。

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46〜53までの位置関係。緑のポイントは大杉会館(旧地蔵堂

 

弘法大師 空海 密教