小菅・正覚寺
【札所番号】
いろは大師:第七十七番(仲多度郡豊原村字鴨・道隆寺の写)
荒綾:第十七番
荒川辺:第六十番
【所在地】
旧地名 | 葛飾区小菅 |
現在の地名 | 葛飾区小菅1-3-6 |
【御詠歌(いろは大師77)】
ねがひをば ぶつだうりうに いりはてゝ ぼだいのつきを みまくほしさよ
【いろは大師、次への順路】
六十番宝性寺へ七丁半
小菅の正覚寺は南葛八十八ヶ所いろは大師の七十七番で、荒綾の十七番、荒川辺の六十番でもあります。
大師堂内の像は第七十七番の台座に座っており、これは南葛いろは大師のものです。番号の台座の向かって右面には「納人/上小岩/大師講世話人中/外信者一同」とあり、向かって左面には「小菅/世話人/(以下8人の個人名)」が刻まれています。背面は見られないのですが、もしかすると後ろ側に造立年があるかもしれません。
数字の3みたいな耳のついたこのお大師様は前札七十番の浄心寺や、七十三番の宝蓮寺にもありますね。ほかでも見たような気がします。
大師像の後ろには木製の厨子があります。扉があいていて安置されている仏様の頭が見えるのですが、お大師様のかげになって全体が見えません。ただ、光背の後ろにお札があって「Bhai」と読める梵字が見えるので、たぶん薬師如来だと思います。本場四国の七十七番道隆寺のご本尊様も薬師如来です。
八十八ヶ所の弘法大師霊場は、どれもオリジナルは四国の八十八ヶ所です。南葛いろは大師も、南葛南回りも、荒綾も、荒川辺も、四箇領も、みんな本場四国を再現したものなのでみんな「新四国八十八ヶ所」です。そこに地名などをつけて「新四国四箇領八十八ヶ所」「新四国南葛八十八ヶ所」などと呼ばれています。
大師堂のとなりにもうひとつ大師像がありました。大木の洞をお堂に見立てて椅子の上で座禅を組んでいるお大師様が安置されています。ちょっとお洒落。
正覚寺には「とげぬき地蔵」という地蔵尊があるそうです。もともとは「とがぬき地蔵」と呼ばれていて、近くにある小菅監獄から刑期を終えて出てきた人が、このお地蔵様を拝むと罪科(つみとが)が抜けると言われてるんだそうです。小菅監獄は大正時代に小菅刑務所になり、今は東京拘置所になっています。
ところで、このお地蔵様は水戸黄門こと水戸光圀(みとみつくに)公に首をはねられたことがあるそうです。このお地蔵様はもともと水戸街道に安置されていたそうなのですが、夜になると美女が現れて街道を急ぐ旅人を悩ませるという噂がたち、参勤交代でこの地を通った黄門様が刀を抜いて地蔵の首を一刀のもとに切り落としたとされています。その首はどこかへ転げていって見つからなかったので、寺では新しい首を作りました。後に寺の回りで首が掘り出されたので、今では別の箱に納めて供養しているとのことです。
この伝説から「きられ地蔵」とも呼ばれている…と、寺に由来が掲示されているのですが、光圀公がどうして地蔵の首を切り落とそうと思ったのかは説明がありませんでした。お話としては重要なポイントなんですけどね。
たとえばこうです。地蔵は街道を行く人をまもるために置かれ、お供え物をされて拝まれているのです。それなのに旅人を悩ませる怪しのものを地蔵は見てみぬフリを決め込んでいたのですから、この役たたずめ、と黄門様が成敗した…とかだったら、しばられ地蔵の類話っぽくもあり、世直しのために諸国を旅したと言われている(ウソなんですけどね)黄門様らしいエピソードかなあと思いますが、これでは肝心の「美女」がどうなったのかわかりません。
あるいは地蔵そのものが実は狐か何かが化けたもので、夜になると美女になって旅人を悩ませていたとします。それを参勤交代の黄門様が見抜き、この妖怪変化め、と成敗なさる。首を切り落とされたので化物はただの石地蔵になってしまいますが、畜生とはいえ放っておくのは哀れと思ったお坊さんが新しい首をすげて、二度と悪さをしないように供養した…とかだったら、ちょっと筋の通った話になるかも?
上記はあくまで「こうだったらストーリーになるかな」と、わたしが作った話なので信じないように(笑)とにかく、黄門様に首を切られた地蔵なんだそうです。
↑刀で石の地蔵の首を切れるかとか書いてあるんだけど、そこじゃねえわみたいなツッコミを入れるわたしなのでした。