浦安市猫実・花蔵院
浦安市猫実・花蔵院は南葛「南回り」の第六十五番札所です。
【札所番号】
南回り:第六十五番
行徳三十三所:第三十番(観音霊場)
【札所名】花蔵院(新義真言宗)
【所在地】
旧番地等 | 千葉県浦安市猫実160 | |
現在の地名 | 千葉県浦安市猫実3-10-3 |
# 旧番地は『江戸・東京札所事典』による。
【御詠歌(南回り65)】
【南回り次の札所】
(第四番、浦安市堀江・東覚寺《東学寺》)
第六十六番、浦安市当代島・善福寺
# 四番はこの場所かどうか疑いがあるが、真言宗のお寺でもあり、花蔵院からも近いので参拝しておきたい。四番を回ってから六十六番へ進むこと。
当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。
浦安市堀江の花蔵院は、南葛八十八ヶ所「南回り」の第六十五番札所です。境内に無数の大師像(座像、立像など)があり、大師堂もありました。しかし、いずれも南回り固有のものではなさそうです。
「南回り」は東京弘山講により、明治43年ごろに開創されました。これは江戸川区東瑞江の長寿院や、江戸川三丁目・明福寺の石碑に「明治四十三年十二月」と刻まれていることでわかります。南回り関連のもので、これ以前の日付が入ったものは今のところ発見されていません。
また、明治45年に、各札所(すべてかどうかはわからない)に御詠歌の扁額が納められた形跡もあります。
いずれにしても、必ず「東京弘山講」の文字が入っており、それをもって「南回り固有」と判断しています。
南回り固有のものは見つかりませんでしたが、花蔵院周辺は見どころの多いところでした。
このあたりのお寺や路傍の祠には弘法大師像が数多く納められています。造立年がないかいちおう見てはいるのですが、見える範囲にはありませんでした。一部の像は台座に石屋さんの名前が入ったタイルが貼られており、電話番号などから昭和期のものだと考えられます(台座と大師像が同時期に作られたとは限りませんが)。各お寺に無数にあるため、これらは四国八十八ヶ所めぐりをした信者さんが記念に奉納されたものではないかと思います。
この地蔵堂には脇に由来書きが掲示されていました。ある年の大水で境川を流れてきたお地蔵さまで、以前は「さかい橋」の猫実側のたもとにお祀りされていたそうです。対岸の堀江地区で大火事があり、さかい橋が焼失し、再建工事のためにこの場所に遷座して今日に至るということです。火事が猫実側に延焼しなかったのは、このお地蔵さまが守ってくださったからだと信じられているとのこと。
公訴貝猟願成(こうそかいりょうがんじょう)の塔は、明治22年に建てられたものだそうですが、それより100年以上も前の出来事を記念したものだそうです。
以下、解説板の内容を箇条書きで。
- 堀江・猫実村と船橋村は三番瀬の漁業権を争っていた。
- 天明二年(1782年)、争いはついに評定所(訴訟)へ。
- 堀江・猫実村では花蔵院の当時の和尚・宥賢(ゆうけん)をリーダーとしていた。
- また猫実村の長三郎、長兵衛、善三郎も有力者だった。
- 長三郎が代官所に乗り込んで交渉を試みるが、役人に捕らえられ「同年九月」に獄死。
- 長兵衛は老中・田沼意次に駕籠訴するも捕らえられ、村民の嘆願で釈放されたものの、帰りの船が小名木川(江東区)にさしかかった頃、突然容体が悪くなり急死。
- 善三郎は成田山の不動明王に二十一日の願掛けをするが、「天明三年三月四日」、大雪の中を帰る途中、原木(市川市)付近で力尽き、そのまま帰らぬ人に。
- 三人の有力者を失った村民は結束を固め、天明八年(1788年)に訴訟に勝ったとされている。
- 明治22年(1889年)、天明の三義人の冥福を祈り、業績を後世にとどめるために村人の浄財によりこの塔が建てられる。
「」内の日付は解説板にあるままです。三月の大雪が旧暦だと少々あやしい気がするので(新暦4月の雪はありえなくもないが)、ひょっとすると新暦換算されているかもしれません。
このあたりは漁業権など海の権利をめぐる争いが度々あったようです。地蔵堂の由来に出てくる「さかい橋」ですが、境川の狭くなった場所にあり、そのあたりを「おっぱらみ」と呼ばれているそうです。
塩作りをしていた行徳の衆が、梅雨期に流れ込む淡水を邪魔にして、現在のさかい橋のあたりを土砂などで埋めてしまいます。しかし、川を止められると堀江や猫実から船で海に出るのが難しくなり、怒った漁師たちが土砂を取り除きました。
怒った行徳の衆が再び川を塞ごうとしましたが、漁師たちが団結してこれを追っ払ったため「おっぱらみ」と呼ばれるようになったとか。
ところで、花蔵院があるのは猫実(ねこざね)という町なのですが、これは鎌倉時代に大津波の被害を受けたため、豊受神社付近に堤防を築き、大きな木を植えて「津波がこの木の根を越しませんように(根越さね)」と祈願したのが由来で、やがて猫実の字を当てるようになったそうです。当時の堤防や大木はもうなさそうですが、豊受神社は花蔵院の近くにあります。
また、花蔵院に隣接して「清心大菩薩」を祀ったお堂があるのですが、これはどうやら船橋のお滝不動関連のようです。この日はあまりにも暑くて、写真は写しそびれてしまったのですが「御瀧山不動明王」の石像と、「御瀧山 清心菩薩」などと刻まれた石碑がありました。御瀧山は船橋・金蔵寺の山号です。ただ、清心菩薩というのはどういういわれの仏様なのかちょっとわかりません。やや気になりますね。