二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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東葛西・称専寺

 『江戸・東京札所事典』では、南葛「南回り」第二十番は称専寺で所在地は不明とされています。しかし前後の関係から東葛西・称専寺ではないかと考えられます。


【札所番号】
南回り:第二十番
謎(葛西):第十番、第十一番

【札所名】称専寺(浄土宗)

【所在地】

旧番地等 江戸川区桑川町77
現在の地名 江戸川区1-38-23

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』による。
# 『江戸・東京札所事典』では不明とされている。

【御詠歌(南回り20)】

【南回り次の札所】
第二十一番、江戸川区江戸川・蓮華寺

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。


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『江戸・東京札所事典』より、南回りの札所リストの一部

 上図のとおり、『事典』では15番と20番が不明とあるのですが、このあたりの札所を地図に並べてみると19番が墨田区に飛ぶ以外は、みな番号順にならんでいます。

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葛西地区の札所、位置関係

 そこでこの順路の近くで「称専寺」「梵音寺」を探してみると、順路として矛盾のない場所にちゃんとありました。

 てはなぜ、『事典』では不明とされているのでしょうか。

 これは『事典』の著者が札所の調査をした時に、何かの理由で住所を調べられず、仕方なく不明としたのだと思います。

 町名変更の影響かな、とも思いましたが、称専寺があった旧桑川町は昭和55年(1980年)には東葛西に変更になっていますし、『事典』(出版は平成元年)にあるほかの札所はみんな新住所になっていますから、町名変更の影響ではなさそうです。

 それなら区画整理かなにかがあったのではないかと思い、今昔マップを見てみました。下図は今昔マップからキャプチャして寺と神社の名前を書き加えたものです。右側が現在の地図で、左側は昭和末期から平成初期の地図です。称専寺と正円寺の間に新しい道ができていますね。

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今昔マップより。左が昭和末期、右が現在の地図。

 この道の関係で称専寺が少し北へ、正円寺が少し南へ移動しています。東善寺の北西にあった鳥居(長島香取神社)が同寺北東に移動しているのも道路工事にかかったためだと思われます。

 これらの移動は大した距離ではありませんが、ちょっとした番地の変更があったでしょうし、本堂がきちんと建て直されるまで、正確に何番地何号とは書けなかったんじゃないかな、と想像します(想像ですけどね)。

 そういうわけで、南葛八十八ヶ所「南回り」の第二十番札所は、東葛西・称専寺だと思われます。少なくとも『事典』の著者はそのつもりで書いてると思います。

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称専寺の門前より。本堂は木に隠れています。
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称専寺本堂
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石像は手前が地蔵尊、奥が阿弥陀如来。その奥のお堂は大師堂。

 地蔵尊阿弥陀如来はどちらも万治三年に作られたもので庚申塔であると手前にある緑の解説板に書いてありました。

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大師堂内には大師像が二体。台座の数字は右が十番、左が十一番。

 大師堂内には大師像が二体安置されています。台座には「新四国 第拾番」「新四国 第拾一番」と刻まれています。これは近くにある智光院や真蔵院にある大師像と同じシリーズのもので昭和初期に作られたものです。>
謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場


 当ブログで注目している南葛八十八ヶ所「南回り」は明治末期の開創ですし、称専寺は第20番ですから、まったく別の霊場巡りのものだとわかります。

 「南回り」固有のものは、このお寺でも残念ながらみつかりませんでした。

弘法大師 空海 密教