南回り16番の東善寺は松江なのか東葛西なのか
【札所番号】
南回り:第十六番
謎(おそらく東葛西領):第七番(阿波十楽寺写し)
西国写し:第二十一番 #観音霊場
秩父写し:第十八番 #観音霊場
謎(葛西):第二十番
【札所名】東善寺(真言宗豊山派)
【所在地】下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』の説
現在の地名 | 江戸川区松江1-4-4 |
# 順路的から離れており疑義がある
【所在地】順路的に自然な場所にある東善寺
旧番地等 | 江戸川区長島町175 |
現在の地名 | 江戸川区東葛西2-29-21 |
# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。
【御詠歌(南回り16)】
【南回り次の札所】
第十七番、東葛西・清光寺
当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。
「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。
毎度おなじみの資料・下町タイムス社の『江戸・東京札所事典』ですが(以下『事典』)、わたしが「南回り」と呼んでいる霊場巡りのまとまった資料がこの本しかみつからないので、現状これを読み解くしかありません。
赤い枠で囲ったお寺は所在地が不明とされていますが、どちらも東葛西にその名前のお寺がありますので、本にする際に住所を調べられなかっただけだと思われます。
今回とりあげるのは16番の東善寺ですが、『事典』では松江とあります。松江の東善寺は南回りの80番でもあるんですが、15番の東葛西・梵音寺から直線距離で4kmくらい離れていて、17番でまた東葛西に戻ってくることになります。それはさすがに不自然じゃないかなあと。
それで調べてみると、東葛西にも東善寺がありました。たぶん『事典』は同名の寺を取り違えてるんだと思うんですよねえ。
「たぶん」というのは、何度も書いてますが、南回りには固有の大師像などが存在しないことが多くて、札所とされているお寺へ行ってみてもそこが本当に札所なのかわからない事のほうが多いんです。だから断言もできないんですよね。
とにかく、東葛西の東善寺へ行ってきました。例によって南回り固有のものはなかったんですが、東葛西領八十八ヶ所のものと思われる石碑と、葛西地区に昭和初期に作られたと思われる霊場巡りの大師像がありました。
大師堂の脇に見える石柱には表に「奉納 大師堂 (奉納者の名前)」、裏に「昭和五十五年十月吉日」とありました。
堂内のお大師様は、台座の向かって左面に発起人の方々と造立された当時の住職の名前が刻まれています。右面はには「昭和九年九月八日建立」と刻まれていました。近隣のお寺にこれと同じ時期に作られた番号の入った大師像がいくつもあります。なんと呼ばれている霊場巡りかはわかりませんが、昭和8〜9年ごろ、弘法大師1100年遠忌にあわせて作られたものだと思います。>謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場
当ブログで注目している南葛八十八ヶ所「南回り」は、明治43年ごろ東京弘山講による開創で、東善寺は第十六番札所ということになっています。
それから、お寺の門前に古い石碑がありました。こちらは南回り霊場をめぐるうちにあちこちで見つけ「謎の」とか呼んできた霊場巡りのものです。状況から考えておそらく東葛西領八十八ヶ所のものだと思われます。脇面にはそれぞれ別の観音霊場の番号も刻まれていました。
(正面)
四国第七番
阿波十楽寺写
東善寺(向かって右面)
西国二十一番うつし(向かって左面)
ちゝぶ十八番うつし
西国と秩父は観音霊場です。西国のほうは近くにある江戸川区江戸川・蓮華寺や柴又・医王寺の石碑にも刻まれてるんですが、秩父霊場の写しはここで初めて見たかもしれないです。観音霊場はあまり真剣に見てないので自信ないですけど。
そんなわけで、また新たな霊場を発見しちゃったかもしれません。でも「南まわり」関連のものはこのお寺にもなくて確証には至りませんでしたが、状況から考えて南回りの第十六番はここ、東葛西・東善寺だと思います。