二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト/「葛西大師まいり」か

# 「葛西大師まいり」関連の大師像か?本文最後に追記あり

 二系統の南葛八十八ヶ所をまわるうちに発見したものです。南葛八十八ヶ所、東葛西領八十八ヶ所どちらとも番号が一致しません。弘法大師霊場であることは間違いありませんが、何ヶ所めぐりだったかは不明です。今のところ26番まで発見しています。弘法大師霊場は88ヶ所か21ヶ所が一般的ですが、数にこだわらないケースもあるかもしれません。

リスト

 リンク先にも写真や説明などを置いてあります。

番号/所在地(寺名)/台座の文字/メモ
不明/船堀光明寺/新四国/台座が欠けている
03/北葛西竜光寺/新四国
07/東葛西昇覚寺/新四国/15番も同所
08/中葛西正応寺/新四国/昭和62年奉納の御詠歌あり
10/東葛西称専寺/新四国/11番も同所
11/東葛西称専寺/新四国/10番も同所
13/東葛西真蔵院/新四国/昭和八年十一月造立
15/東葛西昇覚寺/新四国弘法大師/7番も同所
16/東葛西智光院/新四国弘法大師/昭和九年五月造立
19/東葛西正円寺/新四国弘法大師
20/東葛西東善寺/新四国厄除大師/昭和九年九月八日造立
21/東葛西自性院/番号のみ/26番と同型
23/東葛西梵音寺/新四国安産厄除大師
26/東葛西清光寺/番号のみ/昭和二十六年四月造立 作り直したものか

共通する特徴

  • 台座には必ず新四国と刻まれている
    • 新四国 第○番
    • 新四国弘法大師 第○番
    • 新四国厄除大師 第○番
    • 新四国安産厄除大師 第○番
    • ただし戦後作り直したものは番号だけ
  • 造立年
    • 台座の脇面どちらかに昭和8〜9年の造立年がある(必ずではない)
    • 作り直されたものは昭和26年ごろ

地図

 番号順にラインを引いてみると、迷走しているようにも見えますが(順路が番号順じゃない霊場巡りも沢山あります)、船堀方面で数字が若く、次第に東へ向かい、川に当たったところをなめてからまた東へ戻っているようにも見えます。

以下は写真(リンク先に大きな写真もあります)


▲番号不明 船堀光明寺/台座が欠けているため番号は不明。


▲03番 北葛西竜光寺


▲07番と15番 東葛西昇覚寺


▲08番 中葛西正応寺/大師堂の軒下に昭和62年奉納の御詠歌がある。堂内の扁額は東葛西領のもの。


▲10番と11番 東葛西称専寺


▲13番 東葛西真蔵院


▲16番 東葛西智光院


▲19番 東葛西正円寺


▲20番 東葛西東善寺/昭和九年九月八日建立


▲21番 東葛西自性院/造立年はみつからなかったが26番と同型。


▲23番 東葛西梵音寺


▲26番 東葛西清光寺/昭和二十六年四月建立とある。作り直したものか。21番と同型。

追記 2022年7月

 上記の大師像は「葛西大師まいり」という行事に関連したもののようです。以下は江戸川区の公式サイトからの引用です。
葛西大師まいり(新田地区) 江戸川区 文化財・史跡

江戸時代から続けられている、弘法大師霊場巡拝の行事です。葛西地区には、大師をまつる寺院や堂宇、民家が30か所ほどありました。かつては、5月21日に浦安などの人びとも参加して、全体をまわっていましたが、現在は5組に分かれて巡拝しています。
先達を先頭に、大師の厨子を背負った世話人が続き、講員が鉦をたたき口々に「南無大師遍照金剛」と大声でとなえながら行進します。
大師をまつる寺院やお堂、講員の家などに着くと、般若心経や光明真言を唱えて勤行します。組によっては、歌や踊りの加わることもあります。

江戸川区登録無形民俗文化財・風俗慣習
・新田地区 葛西大師講 新田組
・平成6年2月22日 告示

 葛西大師まいりについては、ブログ筆者も耳にしたことはあったのですが、30ヶ所ほどの霊場リストが江戸川区のサイトでも公開されておらず、わたしがみつけた大師像との関連がよくわかりませんでした。

 葛西大師まいりについて、葛飾区・江戸川区周辺の霊場を研究している小川政秋さんという方から、メールで以下のリストをいただきました。このリストは内田定夫さん(1910年生まれ、『江戸川区史跡散歩』の著者)という方が江戸川区教育委員会に収めたもので、小川政秋が閲覧を申し込んだ当時はコピーが許可されていなかったとかで、その場で手で書き写したということです。いただいた資料は、小川さんが手で書き写したもので、ブログ筆者がテキスト化しました。

 下の表は、左列は内田氏が作った「葛西大師まいり」のリストで、右列はわたしが葛西地域で発見した大師像の番号です。内田氏のリストの範囲に収まっているので、やはり葛西大師まいりの大師像のよううですね。

内田氏のリスト 私がみつけた大師像の番号
智光院 16番
称専寺 10番、11番
東善寺 20番
自性院 21番
梵音寺 23番
大師堂(桑川
釈迦堂(西宇喜田)
杉浦家(桑川
竜光寺 03番
光明寺 番号不明
地蔵堂(西宇喜田)
安楽寺
八幡神社(南船堀)
山本家(西宇喜田)
石田家(中島)
馬頭観世音堂(長島)
正応寺(東葛西6) 08番
地蔵堂(仲割)
宇田川家(新田)
渡辺家(堀江)
清滝神社(堀江)
農協脇(仲割)
大六天(仲割)
昇覚寺 07番、15番
天祖神社(仲割)
新蔵院 13番
須原家(長島)
清光寺(長島) 26番
正円寺 19番
智光院

 長島、仲割、桑川……などは()内は地名、または旧地名です。称専寺や昇覚寺のように複数の大師像があるのは、路辺にあったものや、個人宅にあったものが遷座されたのかもしれません。

弘法大師 空海 密教