二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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中葛西・正応寺(正應寺)

 中葛西・正応寺(正應寺)は南葛「南回り」の第十一番札所とされています。昭和初期に作られた別の霊場巡りの八番と、江戸時代に作られた別の霊場巡りの二番でもあります。


【札所番号】
南回り:第十一番

謎(東葛西領):第二番
謎(葛西):第八番


【札所名】正応寺(新義真言宗

【所在地】

現在の地名 江戸川区中葛西5-36

# 昭和51年版の『江戸川区史』にはこのお寺の記載がありませんでした。

【御詠歌(南回り11)】

【御詠歌(たぶん東葛西領02)】
こくらくの みたのみやうとへ ゆきたくは なむあみたふつ くちくせにせよ

【御詠歌(謎の08)】
たきぎとり みづくまだにの てらにきて なんぎようするも のちのよのため

【南回り次の札所】
第十二番、東葛西・昇覚寺


当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。


 中葛西・正応寺(正應寺)は南葛八十八ヶ所「南回り」の第十一番札所とされていますが、南回りにまつわる扁額や石碑などはありませんでした。境内の大師堂にある第八番の大師像は昭和8〜9年ごろに作られた別の霊場巡りのもので、大師堂脇にある石柱は江戸時代に作られた東葛西領八十八ヶ所の案内になっています。

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正応寺大師堂(左)、右は地蔵堂
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堂内の大師像は昭和初期のもの。前に立て掛けてあるのは東葛西領の扁額。

 大師像そのものは近隣のお寺にあるのと同じシリーズで、立て掛けてある扁額をそっとどかして確認したところ台座に「新四国第八番」と刻まれていました。残念ながら札所之全貌が現在まだわからないのですが、いくつかの像で台座の脇を見て造立年を確認したところ昭和8〜9年でした。弘法大師1100年遠忌に際して整備された霊場巡りだと思われます。あとで見つけた札所の一覧を作ろうと思っています。# リストを作りました>謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場

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大師堂の軒下にかかげられたご詠歌

 大師堂の軒下に扇型の板に書かれたご詠歌が刻まれています。これは堂内の大師像と対応していて四国第八番・熊谷寺ご詠歌です。

新四国第八番
たきぎとり
 みづくま
  だにの
てらにきて
なんぎよう
 するも
のちの
 よのため
昭和六十二年五月二十一日

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堂内の大師像に立て掛けてある古い扁額(東葛西領)

 堂内の大師像の前にある古い扁額は、おそらく東葛西領八十八ヶ所のものです。葛飾区・江戸川区の各地で同じシリーズの扁額を見つけています。詳しくはこのあたりを読んでみてください>
何に属するかわからない札所番号(東葛西領八十八ヶ所?) - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場

四国霊場第二番
阿波国極楽寺
こくらくのみたの
 みやうとへ
  ゆきたくは
 なむあみ
   たふつくち
    くせに■■(せよ)

 漢字交じりに書き直すと「極楽の弥陀の妙土へ行きたくば南無阿弥陀仏口ぐせにせよ」でしょうか。この扁額に対応しているのが大師堂と地蔵堂の間にある石柱です。

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大師堂と地蔵堂の間にある石柱は東葛西領八十八ヶ所の案内

(正面)
हाँ 南無遍照金剛

(向かって右面)
四国第二番
極楽寺
潮林山正応寺

(向かって左面)
文化八辛未歳二月吉辰日

 同じ形式の石柱が東葛西・昇覚寺などでみつかっていますが、どれも造立年がなかったので、ここのは特に貴重な資料ですね。文化八年は1811です。


 というわけで、このお寺には「南回り」のものはありませんでした。古いものをこんなに残してくださってるお寺に明治時代の扁額が残っていないわけですから、やはり東京弘山講はあまり長く活動していなかったんだろうなと思います。

弘法大師 空海 密教