二系統の南葛八十八ヶ所霊場

旧南葛飾郡に開かれた二系統の南葛八十八ヶ所を実際に回っています。

見分け方早分かり
いろは大師(北回り)|大心講|大正14年|一番は奥戸・善紹寺
南回り|弘山講|明治43年ごろ|一番は東小松川・善照寺
「名称について」も読む

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北葛西・竜光寺(龍光寺)

 中葛西・竜光寺(龍光寺)は南葛「南回り」の第十番札所とされています。ほかに江戸時代に作られた東葛西領八十八ヶ所の第八番、昭和初期に作られたさらに別の霊場巡りの第三番でもあります。


【札所番号】
南回り:第十番

【札所名】竜光寺(真言宗豊山派

【所在地】

旧番地等 江戸川区宇喜田町2381
現在の地名 江戸川区北葛西4-22-9

# 旧番地等は昭和51年版の『江戸川区史』に載っている所在地です。

【御詠歌(南回り10)】

【南回り次の札所】
第十一番、中葛西・正応寺

当ブログは二系統の南葛八十八ヶ所めぐりに注目して札所となっているお寺や神社を参拝しています。

「南回り」「いろは大師」という呼称については目次のページをご覧ください。


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中葛西・竜光寺門前より
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竜光寺大師堂
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堂内の大師像は近隣の寺にあるのと同じシリーズで昭和初期のもの

 中葛西・竜光寺(龍光寺)は南葛八十八ヶ所「南回り」の第十番札所とされていますが、南回り固有のものはありませんでした。

 境内に大師堂があり、堂内の大師像は「新四国第三番」と刻まれた台座にのっています。これは昭和8〜9年ごろに作られた別の霊場巡りのもので、まだ札所の全貌もわかりませんし、何と呼ばれた霊場巡りなのかもわかりません。# リストを作りました>謎の札所(葛西〜船堀地区に集中)のリスト - 二系統の南葛八十八ヶ所霊場



 また、江戸時代に作られた東葛西領八十八ヶ所のものと思われる石碑もありました。

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東葛西領八十八ヶ所の石碑(向かって左面)
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同、右面
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同、裏面(造立年がある)

(向かって右)

葛西
三十三所
第十八番
明光山
竜光寺

(正面)
興教大師六百五拾遠諱

(向かって左)
यु
四国第
八番
熊谷寺

(裏面)
寛政四壬子歳
十二月吉辰
当山(?)
尊鏡(?)

 裏面の(?)のついてる面は後ろへまわってしゃがみ込めば読めるでしょうが、今見る必要があるのは造立年までなのではしたないまねはやめておきました。

 東葛西領の石碑には、観音霊場の案内もセットで刻まれている事が多いんですがだいたいは「西国第○番写」「秩父第○番写」みたいな言い方になっています。西国や秩父は有名な観音霊場で、そのコピーをこの地に作りましたという意味です。日本中に無数にある観音霊場のコピーが「西国写」だったり「秩父写」だったりするはずです。

 ここで初めて「葛西三十三所」という固有名が出てきました。ただこれだけじゃ西国のほうなのか、秩父のほうなのかちょっとわからないですね。

 今まで見たものでは、という但し書き付きですが、東葛西領の石碑はおおざぱに見て三通りあって、秩父霊場が出てくるのは文化八年の石碑です。寛政四年のものにはみんな「西国」と書いてありました。なので、この「葛西三十三所」は西国霊場の写しにつけられた固有名のような気がします。

  • 寛政四年 1792 興教大師650年遠忌関連
  • 文化八年 1811 由来はわからない
  • それ以降のもの(弘法大師1000年遠忌などさまざま)

 この石碑については以下もお読みください。
nankatu.hatenablog.com


 というわけで、このお寺にも「南回り」固有のものはありませんでした。別の霊場巡りについてはこんなに痕跡があるのに…!

 なお、南回りという呼び方は、同じ名前の霊場巡りが二系統あるため、呼び分けるためにわたしが勝手につけたものです。南回りは明治43年ごろに東京弘山講が作り、南葛八十八ヶ所とか、南葛新四国八十八ヶ所とか呼ばれています。

弘法大師 空海 密教