いろは大師:大師像がないか、札所がみつからないリスト
(2022年10月、これまでみつからなかった大師像の行方がかなり判明しましたので、この記事も大幅に書き直しました)
【いろは大師固有の大師像がなかった札所】
固有の大師像というのは、像の下に番号の台座があり、像のデザインや造立年、番号などから、いろは大師のシリーズだとわかるものの事です。固有の大師像はほとんどは大正14年前後の数年間に作られたものですが、戦災にあったものなどは戦後に作り直されているケースもあるようです。
作り直された大師像がある場合、番号の台座がない場合は「みつからない」と判定しています。
第04番 観音寺→焼失か?
第64番 聖天堂西光寺(現・小松川神社)→善紹寺へ遷座との情報あり(未確認)
第49番 八広・正覚寺 →新しい大師像があるが、番号の記載はない。
第56番 新光寺(真光寺)
第72番 玉ノ井稲荷(現・東清寺)
第39番 原神社内→善紹寺へ遷座との情報あり(未確認)
第36番 宝町・西光寺→台座のみ確認
4番の観音堂はもとは西光寺の観音堂で、寺は明治2年に廃寺となり、観音堂は戦災で焼失したとのこと>葛飾区立中央図書館蔵『妙厳寺誌』
第36番は、番号のついた台座が物置きにしまわれているのは確認しているが、像がどうなったかは問い合わせていないので不明。
39番、64番は善紹寺に遷座されたとの情報があります(葛飾区立中央図書館蔵『新四国八十八ケ所霊場地絵地図』にある平成18年ごろの調査による)。当ブログで寺に確認をとったわけではありません。
【敷地に入れず像の存在を確認できなかった札所】
第3番 高砂阿弥陀堂
第3番は門扉が施錠されていて堂の前までいけなかったが、お堂はあり、おそらく大師像もあると思われる。
【状況がはっきりしない札所】
下小松町、謎の番外
場所的に 70番の福島地内の同一のように思われるが、戦前の巡拝案内では下小松町の番外は「厄除合体大師」と記載されている(合体は弘法大師の伝説にまつわるもので、秘鍵大師や鯖大師などと同じような名称)。その場合だと台座に「合体大師」の文字が刻まれていた可能性が高く、福島地内の70番とは別の像だった可能性も残る。このあたりは未だ状況がはっきりしない。
【別の寺に移動、またはその場で現存を確認できたもの】
第22番 吹上→善紹寺へ遷座
第68番 森田屋敷地内→善紹寺へ遷座
第31番 佐々木金次郎地内→青戸の民家で現存を確認
第78番 石田地内→葛飾区鎌倉の大珠院にお堂ごと遷座
第66番 六阿弥陀常光寺→近くの龍光寺に遷座